あさきゆめみし1
written by プチャ
 紫織は、赤い布表装の日記を静かに開き、今日の日付を書き加えると、なにげなくその手を止め、ただぼんやりと、真澄と出会ってからの今日までを振り返る。
日記には、楽しかった事、面白かった事、嬉しかった事、思い出の全てを、書き留めていた。
とりわけ、一番多く書いていた事がある。
その思い出には、溢れるほどの幸せが詰まっていた。
そして、辛い事も、教えてくれた。



「遅くなりました。 速水・・・真澄です」

見合いの席上、紫織は、真澄を見て息を呑んだ。

『やはり似ているわ・・・』

紫織は、大学で古典文学を専攻し、源氏物語を卒業論文のテーマに選んでいた。
そんな彼女を、祖父の鷹宮会長は溺愛し、江戸初期の美しい表装の写本と、日本でも有数の日本画の大家に、物語の主人公の『光源氏』と『紫の上』を書かせ贈っていた。
始めに、真澄の見合い写真を見たときは、その絵に何処となく感じが似ていると思う程度であったが、こうして本人と逢ってみれば、その想像より遥かに似ていたので驚いてしまう。
その端整な顔立ち、すらりとした体、その風貌の全てが、絵の仲の『源氏の君』に瓜二つであり、それを思わせるかのような、甘く優しい声に、紫織の心は一気に引き寄せられていった。
常日頃から、鷹宮家の女として生れた以上、夫に尽くし、そして愛される事こそが幸せと紫織自身考えていた。

『この方こそ、私の理想の方なのかもしれない・・・・』

だが、紫織はこの時、真澄の秘められた思いを知る由も無かった。
全てはここから始まっていたのかもしれない。
その後、交際が始まり、紫織は自分に対して優しく接してくれる真澄に、更に深い愛情を抱くようになっていく。
そしてこの頃から、不思議な夢を見るようになっていた。





 時は平安時代。
紫織は源氏物語の中で、真澄と瓜二つである『源氏の君』(光源氏)と結婚をし、『葵の上』と呼ばれ、多くの女房達から傅かれていた。
彼女は『源氏の君』の始めての妻であり、二人は末睦まじく過ごす筈であった。
 しかし翌日、目が覚めても紫織の中に充実感というものは無い。
それもその筈である。 実はこの『葵の上』と言う人物は、夫である『源氏の君』と中々打ち解けられず『夕霧』という第一子を産んですぐ、他界してしまうからである。

「どうして、私が葵の上なのかしら・・・・」

少々、悩む所ではあったが、大好きな源氏物語の中で、真澄と夫婦でいられると言う事が何よりも嬉しかった。

そして夢は、姿を変える。

いつの間にか紫織は、『六条の御息所』と呼ばれるようになっていた。
この女性は、先代の春宮(皇太子)に仕えた人物であった。
内親王を一人もうけ、『源氏の君』より年上であったものの、知識と教養、そして美貌を兼ね備えていた為、彼は足しげく通うようになり、深い仲になって行く。
そして日々繰り返される男と女の営みが、紫織の体を熱くする。
自分は年上の女として、若い『源氏の君』に恋を教えていたつもりが、いつの間にか情熱と、若いその体に翻弄されてしまう。
実際は未経験であったが、いずれ訪れるであろう、真澄との快楽に体は素直に反応してしまい、朝になれば自覚出来るほど確かな証拠があった。

「私ったら、なんてはしたない女のかしら・・・・」

恥かしさで顔を赤らめながら、夢を見た日の朝は決まって入浴する様になった。
だが、その夢物語も、ある人物の登場によって大きく内容が変化していく。





夢は『葵祭り』の場面へと変わる。
紫織は『六条の御息所』として、牛車に乗り、この祭りを見物しに来ていた。
ところが、ここへ遅れてやって来た『源氏の君』の本妻である、『葵の上』の一団から
心無い中傷を受けたばかりか、場所を取り合うための喧嘩になり、酷い狼藉を受ける羽目になった。
そして、騒ぎで揺れる牛車の御簾の内から垣間見えた『葵の上』を見た時、紫織は息を呑んだ。
それは間違いなく『北島マヤ』であった。

「なぜ・・・・」

自分の役が、妻の座が、いつの間にか取られている事に対して、紫織の心の中に言いようの無い不安が広がっていく。
いつもなら、そろそろ目も覚めても良い頃ではあったが、この日は何故か、『六条の御息所』のままで居続けた。
屋敷に戻り、一人の女房が、ある事を伝えに来る。
それは、源氏物語を全て読破した自分にとって、聞き覚えのあるセリフの一つだった。

「源氏の君の奥様が、御懐妊なされたそうです」

勿論この時点で、現実の世界ではありもしない話ではあったが、この時の紫織の心は完全に『六条の御息所』に共鳴してしまい、精神は崩落してゆく。

「何と・・・何と口惜しい事か・・・間柄はすでに冷え切っていていると言っていて・・・」

やがて、紫織である『六条の御息所』は生霊となり、マヤの写し身である『葵の上』の下へ行き、呪うようになっていった。
白く、か細いその首に手を掛けゆっくりと締め上げる。

「悔しい・・・貴方さえ居なければ・・・・」

病床に付していた、『葵の上』の顔が苦痛にゆがむ。

「やめて・・・くっ、苦しい・・・・」

彼女の悲痛な声に、ふと、正気を取り戻す。
すると突然、紫織の意識は『六条の御息所』の体を抜け出し、ただの傍観者になっていた。
そこには、般若のような形相の自分が、いままさに、マヤの写し身である『葵の上』の命を奪う様があった。

「いやぁ・・・私は・・・あれは私じゃない・・・私はそんな事望んでいない!!」

必死の叫び声は、誰にも届かず、ただ空しく響く。

「お願い・・・誰か助けて・・・・」

もがけばもがくほど、紫織の意識は、深い闇の中へと引きずり込まれていった。





「お嬢様・・・・紫織お嬢様・・・・大丈夫ですか・・・」

いつも聞きなれたその声に、紫織は、はっと目を覚ます。

「起きて来られないものですから、お部屋まで来て見れば、酷くうなされていて・・・」

世話係である初老の女性は心配そうに呟く。

夢から覚めた安堵感はあるものの、顔色もあまりよくなく、酷く汗ばんでいた。

「おかわいそうに・・・お風呂にでも入られてスッキリされてはいかがですか?」

心配そうに顔を覗き込む。

「・・・有り難う、ばあや・・・」

紫織は素直に従う。
入浴を終え、部屋に戻るとその女性が、新しい床を用意し、待ち構えていた。

「お願いですから、今日はこのまま安静にしてくださいませ」

大袈裟と思いつつも、体がだるい事もあり、そこへ横になる。
そして、何故あのような夢を見たのか、原因を考え始めた。

 2ヶ月ほど前、休暇の為、伊豆の別荘に篭もっていた真澄を訪ねた時、ちょうど来客中らしく、書斎で休んで居ると、本棚にあった一冊のアルバムを見つけた。
それは目立たぬように隠してあったが、ふとしたはずみで下へ落としてしまう。

「これは・・・・!」

恐る恐る開いてみると、そこには北島マヤと言う少女の写真が飾られていた。
それも一枚だけでなく、明らかに長年にわたり撮り続けられてきたと解かるほど、多くの写真が収めてあった。
何かの為の資料にしては多すぎるし、大都芸能でなく、ここにあるのもおかしい。
 紫織は事の仔細を真澄に尋ねたかったが、何も聞くことは出来なかった。
どう話を切り出したらいいのか解からない。 不安に言葉が見つからない。

「信じてみよう・・・」

しかし、この時から紫織は、真澄の自分に対しての対応に、不自然さを感じて仕方がなかった。

 それから一ヶ月後、紫織は北島マヤ主演による『忘れられた荒野』という劇を鑑賞する。
これにより、自分の中で、マヤと真澄の関係は、女優と芸能会社の社長と言う答えを導き出していた。
これにより、不安は取り除かれ、全ては解決するかと思われた。
 だがそれから一ヶ月、見合いの席まで遡れば半年近くになろうとしても、速水家側からの正式な縁談の返事が無く、言いようの無い不安のまま、時が過ぎていく。





おととい、紫織は伊豆の別荘に真澄を訪ねた。
突然の訪問に少し驚いた様子だったが、いつもの、ただ優しいだけの真澄が居た。

「真澄様、私のことお嫌いですか・・・・?」

紫織は痺れを切らし、思い余って尋ねる。

「・・・・そんな事は有りませんよ。 私には勿体無いぐらい、貴方はとても素敵な人だ」

予期せぬ紫織の発言に、真澄は少し戸惑いを見せたが、いつものように優しく答えた。

「ならどうして、お返事をしていただけないのです・・・・ほかに好きな方が居るのですか・・・私は、初めてお会いした時からずっと好きでした」

「紫織さん・・・・」

紫織はこのとき初めて、真澄の素顔を見た気がしていた。
それはいつものような饒舌さはなく、ただ必死に弁解の言葉を捜している男が居た。
その中でも「貴方を愛しています」と言う一番欲しかったこの言葉は、ついに最後まで言ってはくれなかった。
結果、お互いに気まずくなり、それ以来連絡が取れていない。
もしかしたら、その原因を全て北島マヤに全て押し付けようとしていたのかもしれないし、変に意識してしまったからこそ、自分が『六条の御息所』になってしまう夢を見たのかもしれないと、紫織は思った。

『忘れよう・・・』

夢というものは、そう簡単に同じ物を見る事はできない・・・・そう信じていた。
精神的に疲れていたせいか、この日は早々と眠りに就いた。
しかし、午前ニ時、同じ夢が再び紫織を襲い、目を覚ます。
それは更に、凄みを増していた。 まったく同じ光景にもかかわらず、前日には聞こえなかった、僧侶の悪魔払いの御経が聞こえていたのである。
次の日は、魔物除けのお香の匂いをはっきりと感じ、その翌日には、首を絞めていた手に確かに、相手の体温を感じ取っていた。

『いゃぁ・・・助けて・・・・』

やがて、持病の貧血の発作を起こし、紫織は倒れた。

『なぜ、真澄様は来て下さらないの・・・』

紫織は床に臥したまま、天井を見つめながら、ただぼんやりと、それだけを思っていた。
 すると遠くで、来客を知らせるチャイムの音が聞こえる。
そして、客人の足音は、紫織の部屋の前で止まった。

「お嬢様、速水様がお見舞いに来てくださいましたよ・・・」

世話係の女性が襖越しに訊ねた。

『嫌です!・・・入らないで!』

ただ一言つれない返事が返ってくる。

「紫織さん・・・・・」

「お嬢様・・・・・・」

『同情で・・・哀れみで付き合ってくださるのならもうたくさんですわ・・・!』

「開けますよ・・・」

『来ないで!・・・貴方の心が私にないと言うのに、一人はしゃいでいる自分が、どんなに惨めで悲しいか・・・・』

真澄が来てくれて、うれしい気持ちとはうらはらに恋愛がこんなにも苦しいなら、欲しくは無い、紫織はそんな風にさえ思う様になっていた。
だが彼女の意に反して、襖が開いた。
そこには、いつも表情とはどこか違う真澄が立っていた。

「花は、自分で選びました・・・・気に入っていただけるかわかりませんが、長い事、辛い思いをさせてすいませんでした・・・」

『真澄様・・・・』

熟慮を重ねたのであろう、お座なりとはどこか違う態度に紫織の心も動かされていく。

「今日は、正式に返事をしに参りました」

この日、鷹宮家、速水家、双方の合意に基づいて二人の正式な婚約が決まった。


2003.5.18



…to be continued





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