あの夏、一番美しい花火 2
マヤが紅天女の上演権とともに、大都芸能入りしたのが、一年前。一躍時の人となったマヤだが、真澄のマヤの売り方は慎重だった。人気に媚びる様な軽薄な仕事は一切させず、舞台を中心に、堅実な露出を心がけてきた。そういった意味では、2時間枠とはいえ、マヤのドラマ出演は珍しかった。

「心配しなくても、君は日本の宝になる」

大都に入った直後に、真澄が言った言葉だった。実際、自分は宝物のように、大事に扱われてきたとマヤも分かっていた。女優として。
けれども、真澄に対する、女としての自分のこの個人的感情は、紅天女になった今も、大都芸能という真澄に何よりも近い場所で仕事をすることが許される今も、行き場がないことでは、何も昔と変わりなかった。

真澄と紫織は、結婚していない。でもそれは、まだ、結婚していない、というだけのことに過ぎない、マヤはそう思っていた。詳しくは分からないが、鷹宮のほうで、不幸が続き、今は喪中ということらしい。 そう、聞いていた。

「久しぶりのドラマはどうだった?」

真澄は、脱いだ背広を指だけで軽く肩からかけると、沈黙を打ち破る。夏の夕方の湿った空気と、祭の人ごみと、そして真澄と二人きりで歩いていることへのかすかな緊張が、マヤの首筋に汗をかかせる。

「いいお話でした。原作も、脚本も、出会えてよかったって思ってます。
あ、速水さんは本、読んだんでしたっけ?」

そう言って見上げた真澄の顔が、優しげに自分を見下ろしているので、マヤはたった今自分が発した言葉を丸忘れするほど、動揺する。

「読んだ。だから、君にこの役を与えた。いい、役だ」

静かな穏やかな声。女優として気にかけてもらっていると分かっているはずなのに、自分のことを真澄が考える時間を持ってくれたということに、マヤは胸が詰まりそうになる。
ふいに真澄が、露店の軒先に立ち寄ると、二本の濁った緑色のラムネのビンを片手に戻ってくる。

「ドラマのクランクアップ記念だ。君に酒を飲ませないで返す、とディレクターと約束したので、ラムネで我慢しろ」

そう悪戯っぽく笑うと、

「乾杯」

と、短く無造作にビンの底をぶつけた。

「似合わない〜。速水さんに、ラムネなんて、似合わない〜」

マヤは、なんとなく照れくさく、茶化すように言う。

「子供の頃はよく飲んだぞ。一番好きな飲み物だったかもしれない」

真澄のむきになったような声に、マヤはくすくすと笑う。
緑のビンのまるいふちに、そっと唇を寄せると、甘く弾ける水が、舌を痺れさせた。


神社の境内の石の上に並んで腰掛けると、マヤは飲み干してしまったラムネのビンを振り、カラカラと乾いたビー玉の音をさせる。もう甘い水を含まない、空のビンの中に閉じ込められた、ビー玉のその声を、マヤは寂しい音だと思う。
決して外には出せない、その思い、外には出れない、その思い……。

いつまでも、カラカラとビンを鳴らすマヤに、真澄が苦笑しながらからかう。

「チビちゃん、もう一本欲しいのか?」

――違いますっ!!子供じゃないんですからっ!!――

そんな答えが返ってくると思っていた真澄は、マヤのラムネの水のように清んだ透明な、寂しい声に驚く。

「ううん……。もしも、このビンからビー玉を取り出せたら、速水さんにあげるのに、って思ってた」

真澄は言葉を失う。聞こえるはずの声が全く違う方角から、全く違う答えを言い放ったようで、その言葉の前に立ち尽くす。

ふいにマヤは、口を噤み、独り言のような心細さで呟いた。

「あたし、しばらくこの役、抜けないかもしれない。
夏花の気持ちが分かりすぎて、痛すぎて、離れられないかもしれない」

手元が静まり、ビー玉はカラカラと鳴くをやめる。

「言ったら迷惑だって、こんな気持ち、言ってしまったら、その人の重荷になるって、凄くよくわかるし、それから『言ったら迷惑だから』なんて、その人のことを思って諦めてるふりして、ほんとはただ臆病なだけの自分を誤魔化してる気持ちとか、全部全部、分かりすぎて、痛かった……」

そこまで言うと、マヤは喋りすぎたと、顔をしかめる。

「ごめんなさい、また、ヘンなこと喋っちゃった」

「いや、俺にもその気持ちは分かる。そして、言わずに過ごして、あとで死ぬほど後悔する気持ちというのも、痛いほどわかるな」

核心にふれるようで、ふれない会話。
ふらふらと境界線をさまよう言葉たち。
境内の高い木々の向こうで、花火がポツポツと上がり始める。

「速水さん……」

 一緒に花火を見ませんか?

マヤは確かに、そう呟いた。声に出して呟いたはずだった。けれども、その瞬間にかかってきた携帯電話に、慌てたように真澄は出ると、くるりと背を反転させ、辺りの花火の爆音から逃げるように、受話器とは反対の耳を、片手の指で塞ぐ。爆音にかき消され、真澄の声は少しも聞こえない。その姿を、まるで音声の入っていない映画をぼんやりと見つめるように、マヤは立ち尽くす。

花火も、自分も、あっという間に砕け散ってしまった。真澄がちっとも見ていない夜空に、次々と舞い上がる色とりどりの花たちを、真澄の肩越しに、マヤは哀しい気持ちで眺めていた。

「すまない、チビちゃん、緊急の用事で今すぐ社に戻らねばならない。君も、どうせドラマのスタッフと打ち上げだな。付き合ってくれてありがとう。ドラマの放映、楽しみにしている」

真澄は、それだけ早口に言うと、あっという間に祭の真ん中にマヤだけ残して、消えてしまった。

資材を片付けるスタッフの元へ戻る途中、マヤは紅いりんごあめを買う。不自然に紅い、ベタベタと蜜を滴らせるそのりんごに口をつけると、口内に残ったラムネの甘さと混ざり合う。

結局そういうことなのだ、とマヤは思う。
自分は夏花だが、真澄は”夏花の男”ではないのだから。二人は、一緒に花火を見ることさえない。自分は真澄の肩越しに打ちあがる花火を見、そして真澄はその花火に背を向ける。

この違いが、この距離が、自分と真澄の現実的な距離なのだ、と。



2003.8.11



…to be continued






Top/ index / next