| あの夏、一番美しい花火 3
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2週間が過ぎた。 秋に始まる舞台の稽古がすでに始まっており、夏休みを取る暇もなくマヤの夏のカレンダーはめくられていく。 このまま、今年の夏も何もなかったかのように終わり、そして秋になって、真澄は結婚するのだろうか。最近、そんなふうに思考がさまようことが多い。 そして、毎年夏が来るたびに、東京の空に花火を見るたびに、臆病だった自分を罵るのだろうか。 「マヤちゃん、リハだけど1時間押しだって。なんか、照明落ちちゃったらしくてさ」 舞台のスタッフの急いた声が、薄く開いた控え室の扉から一瞬飛び込んでくると、返事をする間もなく再び閉められた。小さくため息をつく。 1時間リハーサルが押せば、1時間終了時刻が遅くなり、1時間帰宅時間が遅くなり、そして1時間、真澄のことを考えなくて済む。そう思うと、一瞬気が楽になった気がしたが、すぐにそれは錯覚だと気付く。今、こうしてぽっかり空いてしまった1時間、自分は間違いなく、真澄のことを考えてさまようのだから、同じことなのだ、と。 そう、すべて、結局同じことなのだ。 どこの角を曲がっても、どこの踏切を渡っても、どこの路地で寄り道をしたところで、結局自分は真澄に辿り着いてしまう。 全部は、無駄な抵抗なのだ、結局。 そう思うと、乾いた笑いが自分を襲い、その笑いはいつしかどこかで聞いたことのある音にかわる。あの、ラムネのビー玉のカラカラという哀しい、寂しい音に。 思いついたように、目の前にあるスポーツ紙に手を伸ばす。よっぽど暇でどうしょもない時でもないと、とても見る気になれない類のものだ。 折りたたんであったそれを、まっすぐに伸ばした瞬間、重い鈍器を頭部に振り下ろされたような衝撃が全身に伝う。 「大都芸能トップ速水社長、破談!!」 必死で口から飛び出しそうな心臓を落ち着かせ、字面を追うが、マヤの頭では何一つまともに理解できない。実際、紙面に書いてあることは、どれもこれも憶測ばかりで、冷静に読めたところで、何一つ納得できるものではなかった。 マヤは、これがますます、現実が奇妙にねじれていくものなのか、それともねじれた現実が、まっすぐに戻ろうとしているものなのか、絡まる思考の中で必死に答えを求めるが、明確な答えは一つもそこに見出すことができなかった。 ビー玉は、本当にラムネのビンの中に今でもあるものなのか、マヤには全くわからない。 分かっていたことは、ただ一つ。 曲がる角をどれだけ間違えたところで、自分の行く道の先には、真澄しかいない、ということだった。 ![]() 予定よりきっかり1時間遅れて、マヤは稽古場をあとにする。 8月のむっとした夕刻の暑さが、建物の外にでた途端に押し寄せるような熱気で自らを包む。真夏の夕方は独特の匂いがする。湿った、少し重い、夜になる前のひと時に流れる、独特の匂い。 時計を見れば、6時を少し回ったところだ。 マヤは途中スーパーに立ち寄ると、迷った末に小さな線香花火を買う。 行く先は決まっていた。やることも決まっていた。 迷った時は、運に従おう。そんなふうにマヤは思う。あの多忙な真澄が、ふらりと自分が立ち寄る、その瞬間に限って見計らったようにそこに居るとは到底思えなかった。だからこそ、もしもそこに居た場合は、 ”その時がきたのだ” そう思うつもりでいた。 そんな思い込みと、無理矢理の賭けにでも頼らない限り、自分はとてもじゃないが、計画を実行に移せるとは思えなかった。居なければいい、居て欲しい、一秒ごとに傾く心のシーソーゲームの末、辿り着いたその場所にはたして真澄はいた。 大都芸能、社長室。 日曜の夕方だというのに、待っていたかのように真澄はそこに居た。 突然、ドアの向こうに現れたマヤに、真澄は絶句して、マヤには読み取れないほどの複雑な表情を浮かべるが、マヤはひるまず、準備してきた言葉を放つ。 「速水さん、私と花火をしてください」 ![]() 「君にはいつも驚かされる。突拍子もないことを言い出したかと思うと、そうやって黙りこくって俺を困らせる」 屋上の腰の高さのコンクリのブロックに、軽く寄りかかるように真澄は腰を下ろすと、苦笑しながらタバコに火をつける。 「突拍子もないって言ったら、速水さんじゃない。あたしを困らせてるのも、速水さんじゃない」 強がってそう言ってはみたものの、その表情はどうしたらいいか分からない、と困っているとしか言いようのないものだった。手には、小さな線香花火の束が一つ。 マヤはピリピリと花火を束ねていた線を裂く。 「火をつけてください」 そう静かに言うと、真澄がゆっくりと近づいてきて、風をよけながらライターで線香花火の先端に火を点す。2度ほど、ライターを擦りなおす、シュッという音が聞こえたかと思うと、突然鮮やかな閃光が散り、パチパチと音をたてる。 風が強く、芯の部分はあっという間に落ちてしまった。 「風をよけなければ、だめだろうが」 呆れたような真澄の声。マヤは少しむきになって噛み付く。 「じゃぁ、速水さんもやってみてください。速水さんのほうが長く出来たら、勝ちってことにしてあげますから」 「随分、高飛車だな、今日は。俺が勝ったら、何かくれるのか?」 「速水さんが勝ったら、速水さんの言うこと、なんでもいいから、一個聞いてあげますよ」 冗談として流せる程度のその言葉に、真澄は体の思わぬ所をいきなり捉まれたように、動きをとめる。無言でタバコを一気にもみ消すと、だまって線香花火を受け取った。 「君が勝ったら、俺はどうしたらいいんだ?」 「同じです。あたしの言うことを一つ、聞いてください」 「君は本当に、突拍子もないことを言い出す」 そう言って、取り繕ったような大人の腐った余裕で、まとめようとしたが、真澄の心の奥で、何かが本気で動いてしまったことは、どれだけ誤魔化したところで、自分自身には隠しようがなかった。 お互いコンクリートの塀を背に、風をよけながら地面に座り込む。 とっぷりと日が暮れ、東京の空はもう漆黒に飲み込まれいていた。 真澄の擦るライターの音が、沈黙の空気をシュッシュッと、やはり2回切る。点ったその火の上に、二人は同時に線香花火を垂らすと、火花が散るのを待った。 ほぼ同時に、二つの芯から紅い細かな星が飛ぶ。ゆっくりとそれを引き離し、マヤは丁寧に左の手のひらで覆いを作る。パチパチと飛ぶ紅い火花が、次々と固いコンクリの地面の上に落ちていくのを、二人は黙って見つめた。 「君の頼みはもう決まっているのか?」 「決まってますよ」 マヤの間髪を言わせぬその答えに、真澄は少し驚く。そして、なんとなく合点が行く。最初からそのつもりで来たのだ、と。花火はその口実に過ぎず、マヤは今日、何か抜き差しならぬ用事でここへ来たのだ、と。 けれども、そうは思っても、それが一体なんであるのか、真澄には全く分からなかった。 「速水さんの頼みは?決まってるの?」 「いっぱいありすぎて、まだ決まらない」 そのおどけた声にマヤは笑い出す。 「やだ、もう、笑わせないでよ。震えちゃうじゃないですか!笑わせるの、反則!」 真澄としては、笑わせるつもりも、ふざけたつもりもなかったのだが、結果、マヤの表情が少し緩んだのは嬉しかった。 「同時に終わったら、どうするんだ?」 「そしたら、私の頼みを速水さんが聞く」 「なんだ、それは!」 今度は真澄の手元が少し、震える。 火花の勢いが弱まり、つられるように二人も無口になる。 「速水さん……、紫織さんと破談って、ホント?」 突然、あさっての方向からきたようなマヤのその問いに、真澄が驚いて顔を花火から上げると、その瞬間、マヤの切り取られたような不自然な音程外れの声があがる。 「あ〜、落ちちゃった。速水さんの勝ちだぁ〜。負けちゃった……」 目もあわせずに、マヤはそう言って立ち上がる。 真澄は、マヤがわざと芯を落としたのを見逃さなかった。 「はい。お約束どおり、一個、速水さんの言うこと聞きますよ〜。なんですかっ?」 まるで、先ほどの言葉など、この世に存在しなかったかのように、マヤは調子の外れた明るさで振舞う。 真澄は赤い頭を失った、しなだれた線香花火の残骸を、指で弄びながら、言葉を探す。 そして、見つけた答えを曇りのない声で、言い放つ。 「俺の頼みは、君が俺に頼みたかったことを聞くことだ」 マヤはあっけにとられた顔で、真澄をみつめる。薄く、頭を左右に振って、信じられないという顔をする。 「君の望みはなんだったんだ?」 その穏やかな、低い声に導かれるように、マヤは心の鍵が外れ、言葉が自然に零れ落ちていくのを感じる。 2003.8.11 |
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