あの夏、一番美しい花火 4
「私の望みは、私が今から言うことを、速水さんが一度だけ聞いてくれて、そして全部忘れてくれることです」

真澄は訳が分からないというように、眉間に皺を小さく寄せる。
そんな真澄の様子をマヤは見えてないもののように受け止める。ここで、この機会を失ってしまったら、一生この言葉は口にできない、そんな思いから、ただ自分を追い詰め、駆り立て、ギリギリまで追い込んで、そして破裂させる。

「速水さん、私、あなたが好きなんです。ずっと、ずっと、好きでした。
こんな気持ちは、あなたには迷惑で、不必要なものだって、分かってます。分かっていたからずっといえませんでした。 だけれども、一生の間に一度ぐらい、例えそれが線香花火の長さにも満たないものであったとしても、それをあなたに知って欲しかった。」

ビルの屋上に8月の夜風が吹き抜ける。マヤは顔の前にはためく黒髪を、左手を斜めに延ばして右の耳にかける。

「夏花みたいに、あなたと一緒に打ち上げ花火を見ることもできない私は、線香花火が精一杯なんです。
あたしみたいな子が、速水さんのこと好きなんて、大笑いだって分かってます。みっともないって、分かってます。
ずっと言わないつもりでした。死ぬまで、絶対言わないつもりでした」

そこまで言うと、俯きかけたマヤの瞳は、再びまっすぐに真澄を見る。

「だけど、やっぱりあなたに知っていて欲しい。あたしが、こんなに好きだったって、せめて今だけでもいいから、知っていて欲しい。咲いたあとは、灰になって消えてしまう夏の花火と一緒でいいから、あとは全部忘れてしまってくれていいから、一度だけあなたに伝えたい。
ちゃんと伝える口もあったのに、夏花のように死の病に侵されていたわけでもなかったのに、戦争があったわけでもなかったのに、ただ怖がってそのことを伝えなかった自分を、いつか死ぬ時後悔しないよう、言わせてください」

きっともう二度と口にすることは許されないであろうはずのその言葉を、マヤは3秒だけ息を止めたあと、静かに、静かに、夜陰に解き放つ。

「速水さん、あなたが好きです」

夜空に咲いた一瞬の火の華は、あとは灰となり跡形もなく消えるだけ。パラパラと落ちてくる、灰色のそれをマヤは閉じた瞼の裏に見る。

「忘れてください」

一生一度の打ち上げ花火。漆黒の空に散った紅い飛沫は、砕け散った自らの心臓の血飛沫。
マヤは夜空に今、確かに舞った、幻のその一発の紅い花火を生涯忘れない……、そう思った瞬間、激しく両肩を掴まれる。驚いて、右手から残りの線香花火の束が零れ落ちた。

「俺は生きている。君も生きている。これからも、生き続ける。どうして、これで終わりになるんだ?」

肩に食い込むほどの強い力を持った真澄の手に、マヤは息も止められるほどに驚く。

「臆病だったのは俺のほうだ。そんなことを君に言う資格もない、とか、許されない、といくつも理由をつけて、何よりも君に拒絶されることを恐れ、逃げていたのは俺のほうだ」

マヤは酸欠になったように苦しくなった脳で、必死に真澄の言葉を理解しようとするが、思考の網はもつれる一方で、心臓だけがうるさく内側から自らを叩くように響く。

「……速水さん?」

「君の前にこうして、正々堂々と立つまでにこんなにも時間がかかってしまった。だけれども、やっと辿り着けた。君に先に言われてしまったのは、唯一の俺の計算外だが、こんな幸せな計算ミスはないだろう」

そう言って、その大きな手のひらを、そっとマヤの頬にあてがう。

「俺も君を死ぬほど愛しているんだ」

耳の奥が痛いほどに研ぎ澄まされる。左右の奥歯が一本の線で繋がるような感覚。
これは夢だ、とマヤは思う。花火は一発だけあがり、そして灰になり、残されるのはどこまでも暗い黒い夜の闇だけのはずだった。
唐突にこの一瞬の中に押し寄せた、溢れるほどの幸福は、前後の世界から切り離された、まるでそこだけ抜き取られ純化されたような圧倒的な重さで、マヤにのしかかる。

「でも……、でも、紫織さんは?」

乾いたのどに張り付いた声は、かすれるような頼りなさで言葉を発する。

「彼女とは、結婚しない。婚約はすでに破棄した。俺の人生は、彼女とは別のところにある。君のところに……」

頬に置かれた真澄の暖かな手のひらの上に、もはや耐えうることができなくなった涙が伝う。

「それを言うのに、これほど時間がかかってしまった。今まで気付いてやれなくてすまなかった。俺は君に関して、誰よりも敏感で、鈍感なようだ」

柔らかい苦笑を浮かべながら、真澄の親指がゆっくりと頬をなでる。

「これからは、ずっと一緒だ。俺が君を諦めるなんて、ありえないんだ」

――ありえない……。

その言葉をマヤは胸の奥で繰り返す。それは自分も同じだった。どれだけ報われなくても、諦めたとしても、結局真澄を愛することを止めるのは、ありえないことなのだ。そして、いくつも道を間違えて辿り着いた先にいた真澄が、同じようにこちらを向いて立っている。離れて生きていくことなど、ありえない、そう確信する。

お互いが同時にそうした、とマヤにも真澄にも確信できる自然さで、二人の唇が合わさる。

その瞬間、

ドンという鈍い低い音とともに、何かがビルの向こうの遠くの夜空に紅く散る。

「うそっ!花火っ……」

マヤの素っ頓狂な声があがる。驚いて振り返った二人の前には、次から次へと色とりどりの花が舞う。明るくなった夜空が、東京の夜を浮かび上がらせる。



2003年、8月10日。
東京湾大華火大会。



湾岸の空を華やかに染め上げる、無数の夏の花たち。轟く祝砲の音と、生涯でもっとも美しい花火が、今、二人の上に降り注ぐ。



2003.8.11



<FIN>









杏子祭なるものを開催する、と決めてから、毎日のように沢山の作品を郵便受けに頂き、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
そんな私からご投稿者、そして、祭を楽しみにして励ましてくださった方へ、感謝の気持ちと愛を込めて、このお話を書きました。
毎年8月10日を迎え、一つ年を取るたび、そんな夏もあったなぁ、と思い出せる思い出の一つになることでしょう。
ありがとうございました。






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