紅に纏わる紫の影 1
written by YOYO
━ 杏子 ━




「北島マヤですか?」

「そうだ、北島マヤ。いいか、絶対写真付きでネタ掴んでこいよ。」

それだけ言ってデスクは席を立って行ってしまった。
北島マヤかぁ、なんだかテレビのトーク番組なんかで見ても、ぱっとしない女優 だったけどなぁ…。私は自分の席に戻りながら考える。

私…杏子は某女性雑誌の記者だ。
本当は、もう少し社会派の雑誌の記者を志望してこの出版社に入社したのだけど、 配属された先はここだった。
芸能人やスポーツ選手のプライベートな話や、ダイエットの記事と広告だけで大 半が埋まってしまう雑誌…。不満を抱えながら仕事を始めてもうすぐ2年。

「やっとここの記者らしくなってきたな」

と先輩記者に先日言われた。
それは、つまりこの場所に慣れて、この空気で十分呼吸している自分がいるということ なのかもしれない…。それが、自分にとっていいことかどうか判断もできないままに…。

北島マヤの資料をまず調べないと…。
インターネットで検索をかける。
主に舞台で活躍してる女優で、ああ、そう紅天女。これは去年、大都劇場でロングラン してたなぁ。幻の舞台が再現されるってんで、世間もかなり熱くなり、 日本を代表する大女優だと賞賛を浴びていた。
経理の同期の子も観たって言ってたっけ。
こんな仕事するん?セったら、私も観ておけば良かったな。
その後「じゃじゃ馬ならし」を帝国劇場でやって…、テレビだと、単発のドラマで 主役級で出演してるんだよねぇ。とりあえず、今はなにしてるんだ?
舞台「紅天女」…あ、またやるんだ。大都劇場か。2月5日から…ということは、 あと2日で本番じゃない。今は稽古中か。
じゃあ、まずはお顔を拝見しにいくことにしますか。

デスクが言うには、

「彼女は最近、どうも艶が出てきた。ありゃ、男ができた証拠だよ。」

…らしい。まあ、今までデスクの言うことはだいたい当たっている。
今年に入ってからも、某女優とフランスだかどこだかの写真家が真剣交際していることが 世間に公表された。すっぱ抜いたのはデスクだ。
でもなあ、「北島マヤ」って大女優というわりには、どこか純粋培養というか、あか抜けない というか。男なんて本当にいるのかなぁ…。
ただ、何年か前に一度、若手俳優と交際宣言してたけど、なんだかごたごたして 終わっているということはあるみたい。でも、ここ何年もそんな噂なかったようだしねぇ。

稽古中の劇場は、当然のことながら関係者以外立ち入り禁止だった。
私は受付に取材の申し込みをしたが、稽古中の取材は断っているとのことで、 実現は厳しそうな雲行き…。
それならば、と私は稽古終わりの彼女を追いかけることに決めて、とりあえず腹ごしらえの ために近くのファミレスに入り、いちごフェアの目玉、いちごとクリームがヤケクソのように 乗っているパンケーキをぱくついた。

たっぷり4時間は待った。
舞台関係者がぞろぞろと劇場から出てきて、お目当ての彼女、北島マヤは最後の最後に 現れた…。
私は彼女に気付かれないように、まるでドラマにでてくる刑事のように追いかける。
自分が誰かを尾行する人間になるとは、数年前まで思いもしなかったことだ。
大女優北島マヤは、マネージャーが運転する車に乗るでもなく、タクシーを拾うでもなく、 普通に地下鉄の駅に向かい、普通に電車に乗り、コンビニでパンとヨーグルトと シュークリームを買い、そして自分のマンションに帰っていった。

なんだ。こんなもんか?大女優って…?
自分が今まで取材した女優とあまりに違う、あまりにも普通な大女優でちょっと面食らう。
たぶん、誰も振り返らなかった。普段はオーラを出さないのだろうか?
それとも、オーラの無い女優?まさか…ね。
時計の針は夜10半。これから、どこかに出かけるなんて有り得ないだろう…。
また明日追いかけることにして、今夜は帰ろう…。






今朝も、いつもと同じように駅の売店でスポーツ紙を買い、目を通す。
おやじみたいだけど、これも仕事のうちだ。ふと目に止まる記事。

『大都芸能社長、鷹通グループ会長の孫娘と婚約破棄!大都グループ存亡の危機か!?』

大都芸能って、北島マヤの所属事務所だったなぁ…とぼんやり考える。
たしか、仕事に厳しい鬼社長で、業界内でも一目置かれてる人なハズ。
うちの雑誌で掴んだネタも、大都芸能に潰されたことも何度かあったと思う。
まあ、北島マヤの男関係には関係ないわ…と、スポーツ紙を折りたたんで机の上に放り投げた。

「おい、杏子、ちょっとこい。」

げ、デスクだ。

「はいっ!まだネタ掴んでませんっ!」と言いながら、デスクの前に行く。

「あのな、一日や二日でそんなもんわかるか。それよりな、これ。」

紅天女の初日のチケットだった。プラチナチケットだ。
デスクがどこかに手を回したのだろう。

「うわっ!!私、観に行ってもいいんですかっ!明日ですよね〜!!」

「とりあえず、舞台の上の彼女も見てこい。それとな、俺も行くわ。」

「え?デスクもですか?」

「ああ、…ちょっと確かめたいことがあるからな…。」

それから、経理の同期、花音ちゃんに去年の紅天女の感想を聞きに行った。

「それが、すっっごい感動したのよぉ。なんだか夢を見ているみたいだったのよ。
そこにいた女性はみんな紅天女に同化したし、男性はみんな紅天女に恋したんじゃないかなぁ …。」

と夢見る乙女のように語った。初日のチケットがあることをつい口を滑らせて言ったら、 ずるいっ!と一喝された。

今日は稽古の最終日だし、時間通りになんて終わらないだろうな、また、いちごフェアか? と思いつつ、劇場に向かった。
稽古は終わっていた。

「うっそぉぉぉ、昨日より2時間も早いじゃないっ!!」

ん、もう、北島マヤがどこに行ったか、これじゃ、わかんないじゃんっ!

「ああ、でも演出家の先生と主役だけは残っているようですよ。」

受付の女性がさりげなく言う。
ラッキーーーっ!!んじゃ、ちょっと潜入させてもらっちゃおっかな〜。
明日が初日だけあって、裏方のスタッフが忙しそうに動いている。
一人潜り込んだところでばれそうにもない…。
受付の女性が席を立った隙に、私はロビーを横切り楽屋の廊下へ入った。
人の気配のあるドアは10センチだけ開いていた。中をうかがうと黒い背中が見えた。
誰?あのオッサン…。あれが演出家の黒沼先生かぁ?
その向こうに、うなだれている髪の長い女性、北島マヤがいる。
ダメ出しされて、落ち込んでんのかしら…。明日が初日だってのに…。

「なあ、北島よ…。これからだって、いくらだって、いろんなこと言うやつは出てくるんだよ。
向こうにだけじゃなく、お前にだってな。だけど、そのたんびにこのざまじゃ、 女優なんてやっていけないだろうが…。」

「今までだって、さんざん耐えてきたことだよ。去年の紅天女だって、そうやって 生まれてきたもんだろ…。」

「それに比べたら、これはお前さんにとって喜ぶべき話じゃないのか?お前さんたちが、 どういう話をしてるかは、俺の知ったこっちゃないがな…。」

「明日の初日に、北島がどんな紅天女に化けるかは、俺にとっても賭けだからな。 頼むぞ、ちゃんと頭ん中整理してから、劇場に来いよ。」

黒沼の話を北島マヤは、何度か小さく頷きながら聞いていた。
なんなんだろう…。なにが彼女を演れなくしているんだろう…?
やっぱり男関係かな…?
どうしても、そっちに話を持っていきたくなるな、立場上…。
ぼけっとしていると、黒沼がいきなりドアから出てきた。私はあわてて、通行人の フリをした…。黒沼は訝しむような目で一瞥して、そして、どこかに消えた。
あやしすぎる…私…。
楽屋の北島マヤはしばらく鏡の前で自分の顔を見つめていた。
それは、女優の顔ではなく、女の顔に見えた。

3〜40分そうした後、彼女は楽屋から出てきた。今度は少し離れた場所で隠れていた私は、 相変わらず尾行をする。
とりあえず、だれか男の人と接触してくれないかなぁ…。
一応それでネタになるんだけど…。裏さえ取れれば…だけど。
彼女は、地下鉄の駅に向かい、昨日とは違う方向の電車に乗った。
今夜はなにか予定があるんだわ…。今は8時半ぐらい?誰かと食事するにはいい時間だよね…。私、カメラ忘れてないよね…。どきどきする胸を抑えて私も同じ車両に乗り込んだ。
車窓に映る彼女の顔は、恋する女性の顔。
これは、本当にもしかしたら…もしかするかも…。
劇場のある駅から3つ先の駅で降りた。階段を上り地上に出ると、彼女は迷わず 右の方向へ向かった。なんだろ…オフィス街じゃん。デートするような場所と違うし…。 背の高いビルに吸い込まれていく彼女。
え?ここって…。大都芸能の本社じゃない…。
えぇぇっ!がくーーーーっ、自分の所属事務所に来ただけじゃなーいっ!
ガラス張りの建物の外からでも、彼女がエレベーターに乗っていくのがわかる。
なんだ…。張り切って損したかも…。


Pirururu…。携帯電話が鳴る。
げ、デスクからだ…。

「はい。杏子です。まだネタ掴んでません…。」

「…お前なぁ…、ま、焦らなくてもいいよ。たぶん。で、今どこにいるんだ?」

「大都芸能の本社前です…。稽古帰りの北島マヤ追っかけてたら、自分の事務所に 寄ったみたいで…。」

「…おい、…そりゃ、ネタになるかもしれんぞ…。ちゃんと出るまで張っとけよ。
誰と出てきたか、すぐ俺にも報告しろよ。出てきたところの絵、一応押さえとけ。」

「はあ…。」

デスクの言うことは、ときどき不可解なことが多い。自分の事務所に来たのが
なんでネタなんだ…?
もしかして、同じ事務所のタレントが相手とか…。
ここの事務所も手広くやってるからなーー。
歌手も役者もモデルもいっぱいいるし、絞るのつらいなぁ。
あ、今の紅天女、桜小路優も出るよね、相手役で…。しかも、所属は大都芸能…。
ちょっと、これいいんじゃない?
年齢もほとんど一緒だし…。ちょっと、とぼけた辺りが北島マヤとはお似合いかも…。
…でも、なんか腑に落ちないのは、なぜだろう…。
桜小路優って私の好みじゃないからか…?なんで、あんなに人気があるのか、
私にはイマイチわかんないや…。

ていうか、すっごい寒いんだけど…。ホットの缶コーヒーを手で転がしながら 小一時間も経っただろうか…。そこでやっと気が付く。
出口ってここだけなのぉ?
もしかして、あの建物の横にある「P」の文字は、地下駐車場の出入口なのではないのよう…。
小走りしてそこまで行ったときだった…。
ライトが目を潰した。
慌ててよけると、黒いフェラーリが甲高い排気音を鳴らして駐車場から走り去っていった。
助手席にいたのは、北島マヤだった…。
運転していたのは誰???
一瞬のことだし、よく分からなかった…。
あんなタレントいたっけ…?モデルかな…。
端正な顔の男性だった…。

「すいません〜。カメラ向けるヒマありませんでしたぁ…。」

「…お前なぁ…何年この仕事やってんだよ…。ったく。で、隣の顔は見たのか? 男だったのか?」

「はあ、見たんですけど、私の知っている限りタレントさんじゃなかったと思います…。
モデルかなぁ…、スーツを着た、やたら綺麗な顔の男の人でしたけど…。」

「スーツを着たモデル並の男?…ふーん…。なるほどな…。」

「はい…。」

「お前、今朝の記事ちゃんと読んだかよ?顔も出ていたろうが。」

「え?」

れから、急いで社に戻り自分の机に投げ出していた今朝のスポーツ紙を掴んだ。

『大都芸能社長、鷹通グループ会長の孫娘と婚約破棄!』

その記事は、事実関係だけが簡潔に書かれたもので、ほかの記事のようにイロイロ 混ぜ込んで話をおもしろ可笑しく書いてはいない。ただ、この婚約破棄が大都芸能を含む グループ各社にとって厳しい状況を生み出すものであり、なおかつ、それなのになぜ 婚約破棄に至ったのかは謎とされていた。
そして、大都芸能の社長、速水真澄の写真も載っていた。
どこかのパーティ会場で撮られた物だろうか。
隣には鷹通の孫娘もおり、そして微笑んでいる速水真澄その人の顔があった。
スーツを着たモデル並みの男…。

「デスクっ!!!この人っ!!この人でしたっ!!!」

デスクはあまり驚かずに、

「そうか…。明日が楽しみだな。」と言った。

明日…、舞台「紅天女」の初日…。

いったいなにが起こるのだろう…。



4.12.2003









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