| 紅に纏わる紫の影 2
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| written by YOYO
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私の恋心は誰にも知られず秘められたものだった。 彼が紫の薔薇の人だと気がついた時から、私の中で何かが激しく変わり始めた。 いや、もっと前から動いていたのかもしれない…。 深く、広く、優しく、厳しく、 私を見守り、導いてくれた人。 それをする理由がいったいどこにあったのか、 それは、わからないままだったけれど、 私にとって、彼はかけがえのない人となった。 もしかしたら分かっているのかもしれない。 彼が私に紫の薔薇を贈り続けてくれた理由…。 私はそれを彼に直接確かめる術を知らないけれど、 頭のどこかで、体のどこかで感じている。 彼の私を見る柔らかな眼差し、時折楽しげに私をからかう口元、 梅の谷で感じた不思議な一体感…。 パズルのように形を作っていけば、自然に導き出される答え…。 でも、私はパズルを作らない。 彼には婚約者がいる。 彼は、自分が生きる世界で、最もふさわしい人と婚約した。 彼と彼女の間に愛があるのかは知らない。 でも、それが彼の選んだ生き方であるし、また、そうすべきなのだとも思う。 私にとって紅天女の愛を演じるということは、最初で最後であろうとまで思われる この恋心とどう向き合っていくべきか、どう折り合いを付けていくべきなのか…、 自分を試すものになってしまった。 紅天女の試演それに続く本公演は、この恋心を自分の中で昇華したものを全てぶつけた。 それは、無償の愛。 彼をただ愛し続けるだけ、何も求めない愛。 彼の幸せだけを、ただそれだけを祈る愛。 だから、私は大都芸能のものになった。 紅天女をどうしても欲しがっていた彼のために…。 紅天女を彼に贈るために。 紅天女を演じる女優としての私を贈るために。 本当に、それでいいと思っていた…。 胸の中に感じる痛みは、気付かないふりをした。 去年のクリスマスイヴ…。 なんの予定もなく、彼への恋心を持て余しながらテレビ局での仕事を終えて 帰ろうと歩いていると、突然呼び止められた。 彼だった。 そして、彼の車であてどもなく夜の高速をドライブした。 大きなツリーのある海の見える公園を散歩してたわいのない話をした。 なぜ、クリスマスイヴの夜に私と過ごしているのか、ずっと聞きたかったけれど、 聞けずにいた。 「どうして、今、君といるのかな…。 大都芸能の社長として今夜過ごすべき場所はここではないことはわかっているんだよ。 でも…。」 そう言って、彼はとても、とてもせつない眼差しで、私を見つめた。 体のあちこちから、今まで隠して抑えてきた想いが噴き出しそうになるのを 必死で堪えた…つもり、だった…。 それなのに…、私の口からは、その時の、素直な気持ちが…、こぼれてしまった。 「わたしは…、速水さんと今、一緒に過ごせて…、幸せ…です…。」 そう言ったときの彼の顔が忘れられない。 驚いた顔をして、それから、嬉しそうに微笑んだ…。 まるで小さな子供が母親に誉められたときのような…。 「なんて顔してるんですかぁ?社長らしくない顔っ。」 自分の素直な気持ちを、つい口にしてしまった狼狽を隠すために、 さっきの言葉が冗談で済ませられるように、軽口を言ったその時。 私は、彼の大きな胸に抱きしめられた。 コロンと煙草の匂いが混じった彼の香り…。 苦しいまでに締め付ける長い腕。 髪を掴む長い指…。 そして、伝わってくる心臓の鼓動。 胸が張り裂けそうになるその感覚に、眩暈を覚えた。 「愛してる…。ずっと、ずっと君だけを愛していた…。」 低音の、私が大好きな彼の声で言ってくれたその言葉を、私は一生忘れない…。 「だから…、紫の…紫の薔薇を贈り続けてくれたのですか…?」 私は最後のパズルを埋めようとしている。 パズルを完成させることがもたらす影響など、今は考えられない…。 「紫の薔薇…、気が付いていたのか…君は。 …そうだ。あの紫の薔薇は、君を…君自身を愛しているという証だった。」 決して完成させてはならないパズルが今、全て揃ってしまった。 止められなかった…。 「…私も、あなただけを愛しています…。」 そして、私も言ってはいけないその一言を口にした…。 彼は、一瞬目を見開いて、それから唇を静かに重ねた。 もう、離れられなかった…。 私たちは、身も心も今まで抑え付けてきた愛を、貪る様に確認しあう。 彼は、私を女にした…。 その夜のことは、二人だけの秘めた愛になった。 それから、私は一度も彼の顔を見ていない。 彼からも連絡は無かったし、私からも連絡しなかった。 私は紅天女の稽古が連日始まったし、きっと彼も仕事が忙しかったのだろう。 でも、それは目に見える理由だ。 本当は、もう一度会ってしまったら、きっと彼を困らせる我が儘を 言い始める自分が怖かったのだ。 イブの夜は、これまでの人生の中で最も幸せな夜だった。 そして、同時にどうしようもなく空しい夜だった。 先の約束は何もなかった。 いや、約束など出来ようはずも無いのだ。 彼は、大都芸能の社長であり、大都グループの次期総帥であり、 その彼にこの世で一番ふさわしい美しい人と婚約しているのだから。 紅天女の愛は、無償の愛。 現実の私は、胸の内にいくつもの汚い思いを抱え、倒れそうになる…。 けれども、私は紅天女になろうと決めた。 私のためには何も求めてはいけないのだ。 求めるものは唯一つだけ。 彼の幸せ、ただそれだけ…。 だから、もう逢わないと決めた。 紅天女の本番まであと2日という夜。 いつものように稽古を終え、いつものように自分の部屋に帰った。 ソファに腰掛け何もする気が起こらず、テレビの画面を眺めていた時だった。 電話が鳴った。 彼…の美しい人からだった…。 どうしても今夜のうちに言いたい事がある…と。 それから30分後、彼女は私の部屋を訪れた。 「わたくし、真澄様と婚約を解消することになったようですのよ。」 まるで他人事のように、まるで能面のように無表情に言う。 「婚約…解消…。」 私は耳鳴りを感じながら…、目の前で淡々と語る彼女を見つめた。 「真澄様、鷹通との事業提携を捨ててでも、この婚約を解消したいと今年に入って突然、 わたくしのお爺様にお申し出になられましたのよ。」 「お爺様もさすがに最初はお許しにはならなかったのですわ。 それなのに真澄様ったら、毎日毎晩通われましたのよ…。本当に、婚約していた時には わたくしに会うためになど、ほとんどいらっしゃいませんでしたのに…。」 悔しさなのか、悲しさなのか…、唇が震えている…。 「とうとう、昨晩お許しになりました。お爺様が婚約を解消することを 承諾いたしました。」 美しい人が、私の目を鋭く見つめながら言った。 「ご満足ですの?」 頭の中が真っ白だった…。 彼が婚約を解消することなど、決して起こりえない自分の中の勝手で、我が儘な、 ただの絵空事でしかなかったのに…。 「今回のことで、彼のお立場がどうなるのかお考えになった事がありまして? お爺様は決して真澄様をお許しにはなりませんわ。 婚約を解消する…つまり、事業提携はすべて白紙ということですのよ。 速水会長はじめグループの幹部の皆様が、真澄様をどう処遇なされるのか…。」 次々と彼女から飛び出す言葉に、完全に思考能力を失っていた…。 なにも言えなかった。 「もっとも、もう既にわたくしの心配するべきことでは無くなりましたわね…。 <この婚約解消までの動きの中で、誰一人わたくしの気持ちを汲んでくれた人は いなかったのですもの…。」 彼女が私を正視した。 「ただひとつ最後に、あなたのお覚悟だけ…お気持ちだけお聞きしたかったのですわ…。 真澄様のお立場を危うくなさり、そして大都グループの将来に影を落とされてまで、 彼を手に入れたかったのか…と…。」 返事など出来るわけが無かった…。 私が求めるものは、ただひとつ彼の幸せだけ…のはずだったのに…。 何も言えず、ただ呆然と床を見ている私に、彼女は小さな溜息と冷ややかな目を向け、 「もう会うこともございませんわね…。」 とだけ言って、部屋を出て行った。 次の日の朝、一睡も出来ないままに舞台稽古のある劇場に行った。 一人の役者が荷物の上にスポーツ紙を無造作に置いた。 彼の婚約解消の記事が、そこだけが目に飛び込み…、私を押し潰した。 どう演じたらいいのか、迷路の中に深く入り込み、完全に出口を失った。 無償の愛を演じてきた紅天女。 私がしてしまったことはなんなのだろう…。 イブの夜、恋心を告白してしまった時、私の無償の愛などとっくに終わって しまっていたのだ。 紅天女の仮面が砕け散った…。 明日が初日だというのに…、プロの役者としてあってはならない自分がいた。 演れない私を一人残し、稽古をいつもより早く終わらせると 黒沼先生が私の楽屋のドアを叩いた。 先生の言う事はもっともだった。 いちいち私生活の出来事を舞台に持ち込んでいては女優なんてやれない。 だけど、これが今までの私の演り方だった。 それが、私に女優としての最高の評価をもたらした。 だが同時に、いつ暴発するとも知れない時限爆弾を抱えていたようなものだった。 乗り越えなければならない。 この気持ちを整理しなくてはならない。 そもそも、私を女優にしてくれた彼を危うい立場に追い込んでおいて、 私だけ羽ばたいていいわけがない…。 そんな自分は許されない。 今、彼に逢いたい。 逢って彼の口から全てを聞きたい。 じゃないと、私はここから一歩も動けない…。 女として、人間として自分の立っている場所を確認しないと、私は女優になれない。 大都芸能の秘書室に行くと、水城さんだけがいた。 私の顔を見ると、ちょっと微笑んで、何も聞かず社長室に通してくれた。 たくさんの書類に埋もれるようにして、大きな机の向こうに彼はいた。 私を見ると、嬉しそうな、とても嬉しそうな笑顔を見せた。 立ち上がり私をそっと抱き寄せ、優しいキスを…した…。 「逢いに来てくれてありがとう…。 君には、いろいろ話さなくちゃならないことがあるな…。」 そう言うと、もう少しで仕事が終わらせるから待っていて欲しいと言い、 食事は済ませたのか?と聞かれた。 「話を…話をしにきました…。話が終わらないうちは何もいらない…。」 何ものどを通らなかった。 慣れた手つきで書類を手に取り、何か書き込んでいる姿を見つめる。 この部屋で仕事をする彼のその立場を、私という存在が危うくしている。 彼は社長であり、いずれグループの総帥になる…。 そんな当たり前に思ってきた事実が、今、私のせいで覆されようとしている…。 私に何が出来る? 彼のために私がするべきことはなんなのだろう…。 一時間ほどで仕事を済ませると、水城さんに、後は頼む…と言い残し 彼は私を自分の車に乗せた。 「どうだ…稽古は無事終わったか?明日、初日だろう…。」 何も返事できずにいると、彼は小さく笑い、 ギアに置いていた右手で、私の頭の上をポンポンと軽く叩くと 「大丈夫だよ…。大丈夫だ。」 とだけ言った。 何が大丈夫なのか、さっぱりわからなかったけれど、 その言葉は、私の心に深く深く浸み渡っていった。 夜の首都高に流れるライトが、彼と私の行く先をどこまでも照らしている。 その先にある場所が天国なのか地獄なのかわからないけれど…。 一年で一番寒いこの時期の夜、海の見える公園は人もまばらで イヴの夜、クリスマスツリーがあった場所も、今は何もなかった。 「何から話そうかな…。」 彼が優しく私に話しかける。 「速水さん…、速水さんは、どうなるの?婚約解消なんてしちゃったら、 速水さんはどうなっちゃうのっ?!」 まず聞かなければならないことを、私から切り出した。 「俺は、俺で、何も変わらないよ。君を愛している事実があるだけだ。」 ちょっと笑いながら言う。 「速水さんっ!ふざけないで教えてくださいっ!どうなっちゃうんですかっ?」 半泣き状態の私は鼻も赤くなって、きっと、とってもかわいくない顔をしていたはずだ。 だけど、彼は、とても愛おしむように私を抱きしめ、言った。 「大丈夫だよ。本当に何も変わらない。変わらせない。君が心配することは何も ないんだ。」 「だけどっ!!きっと速水会長や他の偉い人たちが、速水さんをどうにかしちゃうっ!。 速水さん、絶対後悔するっ。絶対…、後悔しちゃうよっ…! 私がっ!私が、速水さんを…つらい立場に追い込んでしまっ…た…!!!」 もう最後は声にならない…。 私という存在が、彼を愛してしまったがために、彼を追い込んだ…。 無償の愛だなんて綺麗ごとを言って、結局、最後に出た答えがこれだ…。 私は彼の胸の中で泣くことさえ許されないのに…。 「こら…、自分だけで答えを出すな。俺が大丈夫だと言ったら、絶対、大丈夫だ。」 彼は大きな手で、私の両手を包み、 涙でぐちゃぐちゃになった私の目を、真っ直ぐに見つめて言う。 「いいか、俺は欲しいと思ったものは必ず手に入れる。プライオリティの高いものから 順に、着実に手に入れるんだ。」 「プライ・・・?」 優しい笑顔を見せる。 「君が最優先だって意味だよ。マヤ、君が一番だ。君だけは絶対に手離さない。」 世界で一番愛しい人が私に語る言葉を、私は一言も聞き逃さないように ただ、ただ頷きながら聞く。 その暖かな言葉が、私をずっとずっと縛っていた堅いロープを解いてくれている ようだった。 「俺は君に憎まれていると思っていたし、君に愛されるなんてまるで信じられない ことだったから、とても…とても長い回り道をしてしまったけれど、もう、 そんなバカな事はしない…。そのためだったら、多少の犠牲を払っても構わない。」 「多少の犠牲…?社長じゃなくなっちゃうの?もう速水会長の後は継げないの?」 「犠牲というのは、あれだな…。紫織さんを傷つけた。」と、ほんの少し顔を歪ませた。 私は昨夜の彼女の顔を思い出し、鈍い痛みが走る。 「彼女を傷つけたのは全て俺のミスだ。長い回り道の間、彼女には愛情ではなく、 ただ同情と打算だけで付き合ってきてしまった。自分のふがいなさに情けなくなる。」 「それから…。社長の地位とか、グループの総帥とか…。君に比べたらなんでもない 価値のものだよ…。だけど、俺はそれだって手に入れる。それだけのものを俺は 自分で持っていると自負しているし、俺以上にあの冷血漢の親父だって、 今となっては俺を手放したりできない。」 「この一ヶ月、今まで親父の息子になってから、こんなに話し合った事はなかったって くらいいろいろな話をした。親父が何を考え、そして俺が何を考えているのか…。 君のおかげだな…。親父が本当に自分の父親になったような気がするよ。 結局昨夜、親父は事業提携を無効にした場合の損失を取り戻せるのならば…という条件 で俺を許したよ。つまり、今のところ、降格も左遷もないってことだな。 まあ、そのおかげで暫くは相当忙しくなるだろうが…。」 と、いたずらっこのように笑った。 「イブの夜、君と想いが通じてから、きちんと君と真正面から向き合える人間になって から逢いたいと思った。俺の勝手な思いで、ずっと連絡しなくて…、きっと、不安な 思いをたくさんしただろう…。悪かった…。」 彼の言葉がヴェールのように、優しく私を包む。 「でも、もう、俺は君と同じ場所からスタートできる。これからは、一秒たりとも 離れたりしない…。」 そして、 「君さえ、よければ…」と優しく微笑んだ。 「速水さんっっ!!!」 ただ、彼に抱きついた…。声にならなかった。 嬉し涙が止めどなく流れて、ずっと自分を縛っていたものを流し去っていった…。 胸の中の深い痛みは、今、暖かな光に変わった。 もうすぐ日付が変わる。 紅天女の初日。 私は、どんな紅天女になるのだろう…。 4.14.2003 ![]() |
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