紅に纏わる紫の影 4
written by YOYO
━ 本番 ━




劇場に入ると、そこは独特な華やかな世界が広がっていた。
初日だけあって、観客の顔ぶれも豪華だなぁ。
芸能人、歌舞伎役者や、うわっ、海外で活躍しているバレエダンサーもいる!
「デスクぅ…すごいですねぇ…。」
「だな。」と頭をぽりぽり掻いている。
「ちょっと、デスク…。やめてくださいよ、恥ずかしいなぁ…もう。」
本番まであと10分。1階の中央…かなり右よりの席に座る。
うーーん、もう少し真ん中から見たかったけど、そりゃ贅沢ってもんか…。
一階席中央ってだけで、満足せねば…。
しかし、デスクよくこんな良いチケット入手できたなぁ。
さっきデスクの携帯が鳴った。相手は水城秘書だったらしい。
電話を切ると、デスクはニヤリと笑って「しっかり観ておけ。」と言った。
わざわざ買った厚めのパンフレットを開く。
美しい舞台写真が巻頭を飾り、否が応でも期待が高まる。
あの北島マヤがこんなふうに変わるんだ…。
文化庁長官などの来賓の挨拶のページが続き、上演責任者として速水真澄氏の挨拶文も顔写真とともに載っていた。
『私はこの紅天女を心から愛しています。
これから観劇してくださる皆様もまた、愛してくださることを確信しております。』
型どおりの挨拶文の最後は、そう締めくくられていた。


「あ、速水氏ですよ…。」
「ああ、どこ座るんだろうな…。水城秘書は後ろの方に座ってるぞ…。」
速水氏は、知った顔に挨拶しながら悠然と自らに用意された席に向かう。
そこは、この劇場の中で最高の席。
舞台を全て見渡せて、なおかつ役者の表情まで捉えることのできる席。
一階席中央ど真ん中。
「あそこ…。普通あんな一番良い席、上演責任者自ら座ったりしますか…?」
「いや…、…あそこが、紫の薔薇の人の席ってことになるんだろうな…。」
開幕のベルが鳴り、客電が落ちた。
暗闇の中で、これから始まる興奮を一瞬抑えるように客席が静まりかえった。






それは私の想像を遙かに超えた舞台だった。
紅天女が舞台に現れたとき、そこは一種異様な空気に包まれた。
そこにいたのは人ではなく、まさしく天女…。
天女が動くとき空気も動き、その指先には光が灯っているようだった。
阿古夜は、恋する一人の乙女であり、その初々しさ尊さに皆、心を奪われた。
阿古夜が恋を語るとき、その視線はまっすぐ客席の中央を射していた。
『おまえがおばばの言う、もうひとりの魂のかたわれだと…。』
『恋とは相手の魂を乞うること…』
『名前や過去がなんになろう。捨ててくだされ名前も過去も…。』
『阿古夜だけのものになってくだされ…!』
その席の男は、眩しいものを見るような表情(かお)で、既に魂は阿古夜と共にあった。
瀕死の阿古夜が、千年の梅の木の姫神紅天女として、千年の梅の木で仏の像を彫ろうという
一真と対決する場面は、圧巻だった。
阿古夜と一真、神と仏。
『真(まこと)、紅(くれない)、千年の生命の花ぞ、今開かん!
山よ、空よ、海よ、私はあなたがたと同じものである。天地一切の万物と私は同じものである!
地の底から湧き出ずる生命の力、天より降りくる大いなる意志、天と地をつなぐ者…紅天女!』
時に神々しいまでの強さを見せ、時に愛らしい乙女になり、一真に語る。
『阿古夜はおまえさまが好きじゃ。
おまえさまと私も同じもの…。おまえさまがこの梅の木で仏を作るのは、それは、二人の魂が望んでいることかもしれぬ。
離れていた魂がひとつになるということかもしれぬ…。
私は神とも仏ともなり、そして、おまえさまと共に生きることになるのじゃ…。
…さあ、その斧で…一突きで、私を討ちなされ。』
阿古夜…紅天女は一真を愛することを心の底から悦んでいた。
『阿古夜…わしにはできん…。わしにはおまえを切れぬのじゃっ!』
天女は静かに微笑むと迷う一真から斧を奪い、自らの手で振り下ろした…!
その時すら、悦びに満ちた顔だった…。
それは慈悲の愛。
愚かな人間の渇愛ではなく、まさしく仏の、神の愛。
その場にいた誰もが紅天女の愛に溢れる世界にのめり込み、永遠に続くかとも思われる恍惚とした時間を過ごした。






劇場全体から発せられる割れんばかりの拍手と歓声…。
私はそれを耳の奥で聞いている。
自分が紅天女であるのか…北島マヤであるのか…、今はまだ曖昧なままにいる。
誰かが私の背中を軽く押す。
それに促されるように再び舞台の中央に立つ。
緞帳が上がり瞼を開けると…、客席から大波のように押し寄せる空気が私を幾重にも包んだ。
私は女優として最も幸せな時間を過ごす。
一階客席中央…彼もまた私に惜しみない拍手を贈ってくれていた…。
私は両手を大きく挙げ劇場中を抱き締め、それから観客と彼に深々と頭を下げた。


「デスク…。ものすごいもん体験しちゃいましたね…。」
終演後、席を立てずに半ば放心状態でそう言うと、返事がなかった。
隣を見ると涙にくれる怪しげなオヤジが一人。
「ちょっと、ちょっと…デスク…。」
「感動したなぁぁ…。やっぱ、すげーなぁ、おい…。」とオヤジが鼻をかんだ。






かなわぬ恋に苦しんでいた頃、心の痛みに封をして無償の愛を演じた。
それは、どこか切なさや哀しみを内に秘めた天女だった。
けれど、今日は本当に心から愛する悦びを感じ、一真のために愛を貫けたように思う。
そして、唯一の彼に真実の愛を捧げられたように思う。
紫の薔薇の人のために用意した席に、堂々と彼が座ってくれたこの日に…。
初日祝いが終わり、帰りの車中で彼が言った。
「今日ほど舞台上の君から強い愛情を感じたことはなかったよ…。」
…そんなふうにストレートに言われたら、恥ずかしくて、返事もできないじゃない…。
「どうした…?」
耳まで熱い…。もうっ、きっと顔中赤くなっているんだ…。
「ククク…照れてるのか?」
彼はため息を一つついて言った。
「だけど、きっと劇場にいた男は全て君に恋したよ。俺はこの先たいへんだ…。君の紅天女を観た、全ての男がライバルになるんだからな…。」
「そんなっ。私が愛してるのは速水さんだけですっ!」
慌てて顔を上げて彼を見ると、…あの、いつも私をからかう、悔しいけど…大好きな余裕の笑顔があった。
「今の台詞、死んでも忘れないから。」と言って、信号が赤の隙にキスをされた。


本番前に聞いた雑誌の記者の人は、今日の舞台、観てくれたのだろうか…。




4.17.2003



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