アオイツバサ 1
written by cocco
「紫織さん、どうしたんですか?」

「あなたにお話したいことがあって参りましたの。お時間、少しよろしいかしら?」

「あたしにですか?ええ、構いませんが…。」

稽古場まで、紫織が訪ねてくるとはどんな用件なのだろう。
なにか、あったっけな?

などと考えながら、堂々と歩く紫織の後ろを首にかけたフェイスタオルで汗を拭きながら、少し間隔をあけて付いていった。

稽古場から一番近い喫茶店に入ると、紫織は紅茶、マヤはクリームソーダをオーダーする。
オーダーしたものがテーブルに置かれるまでの数分間、何も言わずこちらを憐れむかのような視線で見つめる紫織。
程なくして、それぞれの目の前にオーダーした飲み物が置かれ、一口その渇いた口を潤した時、

「そのまま、お聞きいただきたいのだけれども…。まず、これ。ごめんなさいね、真澄様があなたにあらぬ期待をもたせるようなことをしてしまって。私からお詫びいたしますわ。」

そう、目の前に差し出されたのはB4サイズの茶封筒。
中を確認してくれといわれたので、そうっと中の物を取り出すとそこには、紅天女の台本。
その台本をぱらりとめくると…
あの時に聖を介して、紫のバラのひと― 真澄へと託した台本だった。
その阿古夜の台詞にびっしりと線が引かれた、それ。
何故、これが紫織を通して手に戻ってくるのだろう?

どうして?

台本を持つ手が震える。
そんなマヤの様子をくすりと笑い

「真澄様から全部聞きましたの。マヤさんを紫のバラのひととして長い間援助してきたこと。紅天女候補に対する投資でしたのに、それを勘違いさせてしまった、と。」

そう言いながら、紫織は紅茶へと手を伸ばす。

「そう、ですか…。」

マヤは震える手で、その台本を封筒にしまい目の前にあるグリーンの液体の底から湧き出る小さな気泡をじっと見つめる。

― 速水さん、あたしには本当のこと言ってくれなくっても紫織さんには言えるんだ。
紫のバラのひとだって…。

それ以上何も話さず、ずっと俯いたままのマヤに対して紫織はさらに優しい声で話し掛ける。

「ごめんなさいね、悪戯に恋をさせるようなことをしてしまって。あなたが真澄様のことを好きなのは知っているわ。でもそれが彼にとって、重荷になってしまっているのよ。だから、彼を…真澄様をこれ以上苦しめないで上げて下さらない?」

どうして、あたしが速水さんのことを好きだと苦しめることになるんだろう?
紫織の言葉にやはり何も答えず、グラスを見つめたままのマヤに対して紫織は追い討ちをかけるかのように

「これ以上、真澄様に近づかないでいただける?あなたもご存知の通り真澄様は優しいお方だわ。だから、あなたのその気持ちを知ってから…傷つけることはできないと、このことが解決してからと式の日取りも決めてくださらなくて、本当に困っているの…ってこんなこと、マヤさんにお話することではなかったわね。」

そうゆっくりと話すと、お嬢様らしいゆったりとした手つきでカップを口元へと運ぶ。
飲み干したカップをそっとテーブルへと戻す音を聞いたとき

「わかりました…。もう、これ以上速水さんに仕事以外で関わるのは極力避けます。でも、一つだけ教えてください。」

やっと口を開いた、マヤに紫織は満足そうに

「どうぞ。」

言って、マヤを見つめる。

「どうして…どうして、そんなにあたしが一方的に速水さんを好きなだけで、こまっちゃったりするんですか?あたしなんて、関係ないんじゃないですか!?」

その質問に、先ほどまで穏やかな顔つきだった紫織が一瞬眉を顰めて

「どうして、ですって?そうね、それはあなたが大都芸能にとって大事な紅天女だからよ…。これで答えは十分かしら?」

言い終えた後一つ大きな息を吐くと、紫織はすっと席を立ち伝票を片手にその場を去った。

残されたマヤは、目の前のクリームソーダを見つめながら突然起きた出来事を頭の中で整理しようとした。
けれど、頭の中で整理ができるならば最初からこんなにも苦しんでる訳がない。
聖を介して贈った台本だが、それを聖の手から返されるのであればともかく、紫織の手から返ってくることなどまるで予想していなかった。
あの台本が紫織の手から返ってくるということは、真澄が全てを紫織に話したと言うことになる。
そして、この気持ちを迷惑に思っている…。

怒って殴ってくれればよかったのに。

立ち直れないほど、罵ってくれればよかったのに。

以前に真澄から直接紫のバラを投げつけられ、踏みにじられた時よりも酷い気持ちになる…。
まだ、あの時の方がよかった。
何故なら、直接にその怒りをぶつけることできたから。

優しい笑顔で、接してきた紫織。

「そんなふうにされたら、余計に惨めになる…」

誰に言うわけでもなく、ポツリと口から零れた言葉。

先ほどまでグラスの向こう側がクリアに見えていたそのグリーンの液体は、上のアイスクリームが溶けて白く濁り、どんなに光を翳してみてもグラスの向こう側など、全く見えない。



まるで、今グラスを見つめている、マヤの心の中を映し出すかのように―。






稽古着のまま飛び出してきてしまったマヤは、喫茶店を後にしぼんやりとした頭を振りながら稽古場へと向かう。
あたりはすっかり日が落ちてしまい、この時期昼間は暖かくても、夜は肌寒い。
自分の体を抱きしめるように腕を交差させ稽古場の扉を開けると、皆帰ったようで真っ暗だった。
誰もいなくてよかった、などと考えながら稽古着を脱ぎ私服へと着替える。
服を調えようと鏡の前に立つと、そこには平凡な服装をし、酷く疲れた顔の自分の姿が写っていた。

「これが…私?」

思わず鏡に駈け寄り、その姿を指でなぞってみる。
確かに、きれいとかかわいいとか、そんなふうに自分のことを思ったことはない。
けれども、こんなに疲れた陰のある顔に…いつからなっていたのだろうか?

違いすぎる、何もかも…。

その鏡の前に、まるで足から神経が抜けてしまったかのように力なく座り込む。
華のある、生まれた時からのお嬢様で家柄もよい紫織。
今や業界では1.2を争う大都芸能の社長である真澄。
そのうちにはきっと、大都グループ全体を束ねる人物になるのだろう。

あたしは?
芝居しか取柄のない、ましてや美人でも、何でもない人間。

どう考えたって、真澄と自分が釣り合うはずもない。
その隣に微笑むのは、紫織のほうが相応しいと、誰もが思う。
そう、自分さえも。

― 何を期待していたんだろう?
速水さんが、あたしに紫のバラを贈っていたのは紅天女への投資。
何の感情があったわけでもない。
そう、ただの商品にエサを与えていただけ。

…けれど。
そう思い切れないのは、彼の本当の優しさに気付いてから。
でも、そんな優しい人だから。
直接、断りの言葉を、諦めさせる言葉を言えないのかもしれない。

家に帰る気力も無くしたマヤは、鏡の前から這うように近くにあったソファへと体を引きずる。
ソファへ仰向けに体を横たえると、ふと隅の方に埃を被っている一冊の本を見つけた。

「なんだろう?」

その本に惹かれるように手にとり、積もった埃をふっと息をかけて払うと、絵本の表紙が現れた。
角は傷み、表紙の腐食も激しいが本の内部までは進んでいない事を確認すると、またソファへと寝転がる。

「『青い鳥』かぁ…。読んだことあったかな?」

その本の内容は ―。

貧しい木こりの子供、チルチルとミチルと妖精が幸福の青い鳥を探しに旅に出る夢物語。
二人は『思い出の国』『夜の御殿』『森』『墓地』『未来の国』と冒険をするがそれぞれの国で見つけた青い鳥は、死んでしまっていたり変色してしまっていたり…。
結局二人は青い鳥を見つけることができないまま、家へと戻り疲れた体をベッドへと横たえる。
翌朝目覚めた二人は、自分達が飼っていた小鳥が青いことに気が付き、
『なーんだ、とっても遠くまで、いろんなところを探し回ったけど、青い鳥はここにいたんだね…。』

― という内容だった。

夢中になって読み返し、何度目に読み終えたときだろうか?

自分のまわりに青い鳥がいないか、徐に辺りを見回す。
そして雨漏りの跡か何かだろう、所々に茶色く染みのついた天井を見つめながら、頭の中の思い出を探ってみる。
どんなに目を凝らしてみても、どんなに頭を振って記憶の欠片を辿ってみても、自分の青い鳥なんてどこにも見つからない。
青い鳥だと思っていた紫のバラでさえ、もう今は手元に届くことはない。

そう、みんな自分の大事なものは去っていく。
自業自得だとはいえ、母も、そして…真澄も。



どうして、あたしのまわりからは大事な人が、みんな、いなくなっちゃうの?
見つめたままの天井の染みが、ぼんやりと霞んでくる。





― 自分だけの、青い鳥が欲しい。  





  ずっとずっと、どこへも行かない、幸せの青い鳥を。       





 どこへも逃げない、飛び立つことのない、その青い翼を ―






3.31.2003









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