アオイツバサ 10
written by cocco
「なんで、どうして婚約解消したんですか?だって、あんなに…」

真澄は言葉を遮るように振り返ると、静かに、と言うように無言でマヤのその唇に人差し指で触れる。

「俺は、結婚を目前にしながら、紫織さんではない、違う女をずっと追い続けていた…婚約は解消して欲しいと何度も掛け合った…が、到底受け入れてなどはもらえなかった。しかし、その姿を見て援護してくれたのは、」

『違う女をずっと追い続けていた』
思わずマヤはびくりとその肩を揺らした。
真澄はまた、マヤへ背を向けると膝に手を置いたまま、時折辛そうに口元を歪めながらその口を、開く。

「…紫織さんの母親だよ。紫織さんの母親がこの結婚は間違っていると、会社の利益のためだけに娘が不幸になるのを黙って見ていられないと、まわりを説得しはじめたんだ。最初はまわりの人間は猛反対だったがね。しかし孫娘を、娘を、道具のように嫁がせるのは間違っていると気付いたらしい。だが、業務の提携の件ではお互いの会社に莫大な利益を生む…わざわざ、その計画を白紙にするなど馬鹿げていると向こうからありがたい申し出があった。かといって、当初は結婚ということが前提で持ち上がった話だ。破談になってもこうして結びついて仕事を続けるとなると黙ってない外野が大勢いる。それで…軌道に乗るまではお互い、公にするのはよそうということで、全てが終わったかのように見えていた…ただ一人、紫織さんを除いては。」

その背中から、目をそらすことができない…
自分から聞きたいといったものの、何と言葉をかけていいのかも思いつかない。
そんなマヤを察してなのか、真澄がその右手の甲へ手のひらを重ねて、長く息を吐く。

「紫織さんは、納得してなかった…婚約解消することを。話し合いの時は、納得していたかのように見えていた…だが、それは俺の都合のいい解釈だったのかもしれない。彼女にはどう詫びていいのかも見当がつかない。ただ、それでも他人を傷つけても捨てられなかった想い…」

真澄は顔を上げ、マヤへと向き合う。
すっと手を伸ばし、崩れたマヤの髪のトップにかろうじて残っていた一輪の生花を抜き取り、乱れた髪を整えるように何度も梳くと、両サイドの髪を耳へと優しくかけ

「…君のことを愛してる。今までも、これからも。」

抜き取った一輪の生花をマヤへと差し出す。
マヤの見開いた目からは、音もなく涙が滴り落ちる。
差し出された花を、震える手で受け取ると、そっと胸にその花をあて、何か言おうと、口を動かすものの震える唇からはただただ、空気が零れるばかりで音が形にならずに滑り落ちる。
あの時、踏みにじられた花がその手を通して、贈られる。
真澄を見つめ、その澄んだ黒い瞳から大粒の雫を流すことしか出来ないマヤに

「…なんだ、返事はくれないのか?」

その包み込むような優しい瞳で、真澄は顔を覗き込む。
マヤは慌てて首を大きく左右に何度も振ると、真澄の皺が寄っている右肘の辺りのシャツをぎゅっと小さく握り締めた。

左頬にあてられる、暖かな右手 …
その唇へ、優しい温もりが伝わると、頬にあてられた右手はマヤの頭を掻き抱くように微かな煙草の香りがするその首筋へ、導かれる。
まるで、そこが自分の場所だったかのように、その首筋の部分へすっぽりと、頭が包み込まれた。

「あたしも…愛してます。」



― 真っ白な部屋の中に、もう一つの色
それは

初めてその手から渡された


暖かな温度を持つ、一輪の紫のバラ ―






今年もまた、同じ季節が巡ってくる。

いつもと同じ稽古帰り、アパートの集合ポストを覗いてみると見た事のない切手が貼られた一通のハガキ。
その差出人の名前をみると…


『マヤさん、お久しぶりです。

 お元気ですか?       
 私は、とても楽しく毎日を過ごしております。
 この写真、私が撮りましたの。
 どこの空だか、お分かりになるかしら?
 分からなかったら…

 真澄様に、教えてもらってね。

                 鷹宮 紫織  』


「紫織さん…これじゃどこだか、わかんないよ…」

そこには、真っ青な空に羽ばたく、一羽の鳥。
その切り取られた青い空の上へ、天気雨が一粒、降り注いだ…




「速水さん、」

お互い忙しい身のため、電話さえもなかなか出来ない中、やっとの思いでつくった時間。
久しぶりに二人で夕食を取り、いつものように送ってもらう車がアパートの前へと止まった時、運転席の真澄へと一通のハガキを差し出す。
不思議そうな顔をして、そのハガキを受け取った真澄はその差出人の名前に目を見開く。
暫く瞬きも忘れたように、凝視していた真澄の手が微かに震えた。

「…あたしね、その空がどこだかわからないの。紫織さんがね、わからなかったら速水さんに聞いて、って。」

何度か目を瞬かせたあと、ゆっくりそのハガキからマヤへと目線を変える。
そこには、これ以上ないほど微笑んだ瞳が、真澄だけを映していた。

それは、二人の都合のいい解釈なのだろうか?
いや、違うだろう。
このハガキは…

― 紫織が、歩きはじめた

助手席にいるマヤの腕を引っ張り、自分の胸へと抱く。
無造作に捲り上げたYシャツの袖口から、あのときの傷跡が目に入った。

身体の傷は、いつか塞がる。
たとえそこに傷跡が残ったとしても、血がいつまでも流れつづけることは、ない。
心の傷も、いつかは塞がる。
そして、その傷跡が残ったとしても、消えないものだったとしても、そのままでいい。
マヤにある傷も、紫織にある傷も、真澄の傷も…全てが自分自身なのだから。
それぞれの傷跡を目にした時、また振り返ることもあるだろう、戻ってしまうこともあるだろう。

それでもまた、前に進んで歩き始めれば、それでいい。

胸へと抱きしめたマヤの腰へと手をあてる。

「この先、俺の手の中から飛び立たないと約束するなら、教えてやってもいいぞ。」

マヤは蹲っている顔を上げようとするが、さらに強い力で真澄の胸へと全身を押し付けられる。

「…速水さん、それって……く、苦しいよぉ。」

「うるさい、我慢しろ。」

「わかった、わかったから…どこにも、いかないから…」

その言葉に真澄はマヤの両肩を包み、自分の胸から引き剥がすと、その顔を覗き込むように目線をマヤの顔へと下げる。
覗き込んだ瞳には…言葉の意味が分かっているのか、それともただ息ができずに圧迫されて顔が赤らんでいるのか、のぼせたような様子であがった息を吐きながらこくこくと、頭を上へ下へと振るマヤの表情が目に入った。
忙しく動いている中で、時折あうその深い瞳に、今まで味わったこともないような感覚が胸の下の辺りから腕を伝わり、その指先までもが震える。
その感覚は、恐れでもない、寂しさでもない、湧き上がる、暖かいもの。

― 隙間の全てが、満たされていく、感覚

その感覚が行き渡った腕で、胸から剥したマヤを先ほどよりも更に強い力で胸に…自分の体にまるで足りなかった部品を埋め込むかのように包み込むと、秘密のクイズの正解を内緒で教えるかのように、軽く触れた息。

「…切手と消印を見れば、どこから送ってるかわかるだろうが、」

薄い生地を通してなのに、まるで自分と一体化させようか、とも思える熱さと強さを持つ腕の中で、苦しそうに身体を捩るマヤの耳元に、掠れるように空気が動く。



「閉じ込めたからな…もう、逃がさない…」






「…ほら、マヤ。いい加減、起きろ!!」

「うーん…あと、ちょっと…」

そう言いながらも枕を抱えてすぐに、寝息が聞こえてくる。
真澄は、呆れたように小さく息をつくと、何か悪巧みをひらめいた子供のように片方の口の端を上げ

「それならば…無理矢理起こすまでだ。」

頭まですっぽりと被っている掛け布団を一気に剥し、枕を抱えているその脇をくすぐりはじめた。

「ぎゃーっ、速水さん!!わ、わかった、わかったから、起きるっ!起きますっっ!!」

ベッドの上で団子虫のように硬く脇を閉じ背中を丸め、もうくすぐられないようにと防御体勢に入ったマヤを、ふっと笑い

「ほら、今日は挨拶回りだろ?…まったく。子供が生まれても、俺は速水さんのままなのか?外ではやめてくれよ、速水マヤさん。」

両手を降参だというように軽く上げながら、ベッドに蹲るマヤをちらりと見る。
丸めた背中のパジャマの上着が上に捲れあがっているのに気が付き、それをなおしてやろうと手を伸ばした、その時…

「マヤ…あれ?ないぞ?」

腰の辺りを、何かを探すように、何度も何度も指先で確認している。
擦ってみたり、叩いてみたり…
その動きに、マヤはシーツへ押し付けていた顔を真澄のほうへと向ける。

「速水さぁん…なにしてるのぉ?」

無理に起こされたというのも手伝ってか、両眉を怒ったように顰め、唇を尖らした顔で真澄をじっと見るが、なおも、真澄はパジャマを捲り上げ、右の腰の辺りを真剣な顔をしたまま何かを探している。

「速水さん!!朝からなに考えてるの!もぅ、エッチなんだから!!」

その言葉に、身体を屈めて腰を見ていた真澄の目が、マヤを見上げるように向けられる。

「ないんだよ、ここに、」

そう言って、マヤの右の腰に手をあてる。
マヤは首を傾げ、何を言っているのかわからないという目で真澄を見た。

「…青い鳥が、いなくなってるんだ。」

マヤは目を見開き、口をぽかんと開け固まっていたが、次の瞬間ベッドから飛び降り部屋にある姿見へと向かう。
パジャマを上へ引っ張り上げ、その部分をやはり真澄と同じように暫くの間、擦ってみたり、叩いてみたりとしていたが、その隣でいつの間に目を覚ましたのだろう?
きゃっきゃと、笑い声を上げながら足を小さくばたつかせている存在が目に入る。
その途端、マヤの脳裏に駆け巡る記憶 ―

『あぁ、それは火の鳥だよ。自分の生んだ卵が孵るまでは不死身なんだけど…卵が孵ると同時にそこから出る熱と炎に焼かれて命を落とすんだ。』

脳裏を突然、ビニール袋のようにカサカサとした音を立てながら、何度もこだまする、その言葉。
なぜ、そんなことを思いついたのか、黒目と瞼の間に白い色が見えるほど瞼を見開き、瞬きさえも忘れながら乾いた瞳で、頭を振ってみたが…

― そうだったんだ

そう考えれば、この青い鳥がきてからの自分の身に起こったことの全ての説明がつく。
乾ききった瞳へ、水分を補給するように一度強く瞼を閉じたままゆっくりと、引っ張り上げていたパジャマを元に戻すと振り返り瞼を開け、真澄を見る。

その顔は今までに見たこともないような、透明な笑顔…

一瞬、握り締められたように心臓がどくりと音を立てたが、その笑顔の意味が分からず、真澄はベッドの上から訝しげな瞳をマヤに向けた。
マヤはその笑顔のまま、真澄の瞳に応える。

「…あの子はね、火の鳥だったの…ううん、幸せの青い火の鳥、かな?」

それを聞き、ますます眉間の皺が深くなった真澄を無視するかのように、鏡の隣で笑う小さな存在を胸に抱くと、暖かな日差しがさすベランダの外へと出てみる。

「すっごい、いいお天気!速水さんも、来てみて!」

空を見上げるマヤの隣へ、ゆっくりと近づき、同じように空を仰ぐ。

「…いい、天気だな。」

見上げたまま、真澄がポツリと呟くと、そこへ一羽の鳥が空高く羽ばたいた。
マヤは、驚いたように隣にいる真澄を、見ると…
同じようにマヤへと顔を向ける、真澄と目が合う。

― きっと、同じことを思った

照れ隠しなのか、その顔を隠すように真澄は寝癖のついた柔らかな色の髪をかきあげながら背後へとまわり、その手に眠る小さくとも暖かな温もりを、マヤの背中ごと抱きしめる。




見上げた先には

紫織のハガキと、同じ空



その二人の手の中に眠るのは








二人の、青い鳥






4.27.2003



<Fin>










□coccoさんより□

ここまで長い作文をして、自分でビックリしてます。
ただ、長いだけになってしまったような気がすごくしますが、お許しください! !
『刺青』ということで受け付けない方も多々いらっしゃったかとは思うのです が…
ここまでお付き合いいただいた方々、本当にお疲れさまです&ありがとうござい ました!
最後に…杏子ちゃん☆
警告つき、しかも長編ということで「人のところでやるなよ!!」って感じのも のおくりつけてごめんなさい。
それでも、快くいつも受け取ってくれてしかも、悩んでる時にも励ましてくれた り…
杏子ちゃんのほうが忙しいのに、本当にごめんね。
そして、壁紙&扉…今回も素敵なものを、ありがとう!
ラストの紫織のハガキは、杏子ちゃんの選んでくれたこの、壁紙の空です!!





□杏子より□
”刺青”とガラパロ!今だかつて誰も思いついたことないようなその組み合わせに、杏子も最初は度肝を抜かれました。
coccoちゃんがずっと温めていたというネタだけあって、思い入れの強さが回を追うごとにヒシヒシと伝わって参りました。”刺青”といえば、どうしても日本ではマイナーイメージが付きまといますよね。けれども、その”刺青”に対するマヤちゃんの切ないまでの思いが、とても胸を打ち、刺青に対する杏子のイメージも変わりました。
coccoちゃん、本当に、本当に、長きの連載お疲れ様でした。アオイツバサ、間違いなく殿堂入りです。
ESCAPEで発表させてくれて、ありがとう!!





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