ツキノヒカリ 3
written by miko
マヤは水城の運転する車を降りる。
ふと見上げると、大きな月が出ている。
昨日は満月だった。
今日は少し欠けている月。今からだんだんと薄くなる月。
冷たい光がマヤをうっすらと照らし出す。

水城はマヤを真澄の入院している病院へと連れてきた。
昼間は紫織が付き添っていたが、完全看護であるため、宿泊での付き添いは許されていない。
そのため、看護の人間は面会時間の8時を過ぎると家に帰っていた。
水城はそれを知っていて、マヤをここへと連れてきたのである。
紫織が帰ったことは確認を取っていた。
夜間通用口を通り、病院の中に入る。
エレベーターの前で立ち止まり、上のボタンを押す。
「マヤちゃん、真澄様は6階の特別室にいらっしゃるわ。」
ドキッとする。すがるような目でマヤは水城を見つめる。
「み、水城さんは来ないんですか。」
「私はもう必要ないはずよ。自分の口できちんと尋ねなさい。」
まるで母親が子どもを優しく諭すような口ぶりで、水城は言う。
マヤはまだ迷っている様子だったが、エレベーターの扉が開くと、水城に背中をポン、と押され、そのままバランスを崩して転がり込んだ。水城は「6」の数字を押すと、自分はさっとエレベーターから降りた。

どんどん、どんどんエレベーターは昇っていく。
どうしよう、もう2度と自分からはあわないって決めてたのに。
どうしよう、会ったら今までの努力も何もかも無駄になるのに。
どうしようを何十回か繰り返したところで、エレベータは6階に着いた。
一歩足を踏み出す。

病院の中はさすがに静かだ。
まだ消灯前なので、病室からはちらちらと明かりが漏れている。
マヤはできるだけ足音を立てないように、ゆっくりと足を進める。
6階の一番奥に特別室はあった。
室内は他の部屋と違って暗かった。
室内灯のあかりだけがぼんやりと窓越しに見える。

どうしよう、ここまで来ちゃった。

マヤは前にも、後ろにも進めなくなっていた。
足が動かない。
会うべきじゃないと分かっているのに、それを否定する気持ちも自分の中に存在している。
どうしよう。このまま帰ったほうがいいのに。
どうしよう。

マヤがまた心の中でどうしよう、を繰り返していると、
部屋の中から声が聞こえた。

「誰か、そこにいるんですか。」

確かに、真澄の声だ。
マヤは足が震えた。







どうしよう。
マヤはまだ迷っていた。
もうここに誰かいることは気付かれてしまったと言うのに。
でも、会ってしまったら、自分の思いが溢れ出してしまうことも自分自身でよく分かっていた。
どうしよう。

今日何百回目かの「どうしよう」を心の中で呟いたとき、また声が聞こえる。
さっきより近い声だ。
「どなたですか?」
病室のドアがするりと開く。
しまった!マヤは目をぎゅっとつぶってしまった。
ゆっくりと片目を開けると、そこにはぽかん、と口をあけた真澄が立っている。
「…病院にまで豆台風の来襲があるとはな…。考えなかったよ。」
なっ!せっかく心配してきたのに!あんなに悩んだのはなんだったの!
と顔を赤くして、口をぱくぱくさせていると、
「もう面会時間は終わってるんだ。廊下なんかに居たら追い出されるぞ。」
と腕を取り、部屋に入れられてしまった。
椅子を勧められてマヤはそこにちょこん、と座った。
「…見舞いにしては、随分遅い時間だな。」ベッドに腰掛けて真澄が話し掛ける。
「いや、速水さんが入院しているのも今日大都芸能に行って、わかって…、あの、夕方からあさっての記者会見の打ち合わせだったから…。それで」
じっと真澄がマヤの顔を見つめる。
「?あたしの顔になんかついてますか?」
「いや、…久しぶりに『速水さん』って呼んでくれたな、って思っただけだ。」
しまった!
真澄の以前どおりの憎まれ口を聞いて、自分の心の中のバリアを解いてしまっていた。
マヤは黙って俯く。もう頭の中は真っ白だ。

「久しぶりだな…2人きりで話するのは。」
はい、と小さな声でマヤは返事をする。
少し上目遣いにちらっと真澄を見てみると、じっとこちらを見ている視線とぶつかる。
逃げるように慌ててもう一度俯くと、その姿勢のまま、マヤは真澄に問い掛けた。
「速水さん、胃潰瘍ってホントですか?」
大方、水城くんだろう…真澄は苦笑した。
「ああ、だが、そんなに重くないから1週間ほどで退院できるそうだ。」
たいしたことはないということがわかって、マヤはほっとした。
「鬼の霍乱、って言いたいんだろう?」
オニノカクラン?なに、それ?
眉を寄せて難しい顔をしているマヤを見て、ぶっと真澄が噴出す。
「な、何笑ってるんですか!」
「いや、言葉の意味がきっとわかってないんだろうと思ってね…。」
くっくっくっと笑い声が響く。
図星だった。マヤはまた真っ赤になる。
そして顔から熱を発しながら思う。
まただ、またこの人のペースに乗せられている。
もう、こんな風に話しちゃ、会っちゃいけないって思ってたのに。

さっきとは違った、少し重い表情をしたマヤを見て、真澄も表情を戻す。
「チビちゃん、俺に何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
そうだった。
水城に、
“どうしても理由が知りたいなら、本人に聞くといいわ。”
そう言われ、ここに連れて来られたのだ。
「どうして、そう思うんですか?」
「…君はあの半年前の夜から、俺を避けていただろう。俺も人のことは言えないがな。
それがこうやって病室まで来たんだ。何かあるんだろうと思ったまでだ。」
マヤはぐっと唇をかみしめる。
どうしよう。
聞いてしまったら、もう、後戻りできない。
どうしよう。
同じ言葉を頭の中はぐるぐると繰り返す。駆け巡る。
聞きたいことは一つなのに。
「マヤ?」
自分の名前を呼ぶ優しい響きに、マヤは自分の今までの努力がすべて無駄だったことを痛感する。
諦めようとあんなにがんばったのに。
胸が、痛む。切なさと、愛しさで。
ああ、あたしはこの人をこんなにも好きだ。
あたしを呼ぶ優しい声も。
あたしをからかうときの笑い声も。
包み込むような優しい瞳も。
その気持ちは絶対に変わらない。
たとえ、この人が他の誰と結婚しても。

そう思ったとき、マヤは口をゆっくりと開いて真澄に質問した。
「速水さん、何があなたをそんなに苦しめたんですか?あなたを病気にしてしまうほど。」

病室の窓からは、少しだけ欠けた月のほのかに青い光が差し込んできていた…。







俺を苦しめたもの…。真澄はマヤの問いかけを繰り返した。
答えは考えなくてもわかっている。
今、自分の前にいる彼女に対する自分自身の抑え切れない思い。それ以外に何もない。
彼女が欲しい。他の何を打ち捨ててでも。
でも、目の前には「政略結婚」と呼ばれるものが待ち構えている。
ジレンマだ。
美しいと言われる婚約者を連れてパーティーに行ったところで、俺の気持ちは全く浮き立たない。
俺が心底生きていることを感じるのは、この少女と一緒にいるときだけだ。彼女の舞台を見るときだけだ。
…それも、もう許されなかった。彼女から引導を渡された。
この半年間、俺は機械だった。働くためだけの、機械。
いや、機械ならば病気になんかならないな…俺は思っていたより弱かったんだ…

「速水さん?」今度はマヤが聞く番だった。

「チビちゃん、その理由をどうしても聞きたいのか?」
真澄の固くなった表情に、マヤは緊張する。
ここで頷いてしまえば、ほんとうに後戻りはできない。
自分はもうそのドアを開けてしまった。
後ろ手に閉めてカギをかけるか、もう一度戻るか、決断しなければならない。

“戻るなら今だぞ”
そう言われている気がした。
今度は違う言葉を自分に投げかける。
『どうしたいの?マヤ』
先に進みたいのか、戻りたいのか。自分はどうしたいのか。
心の奥底に眠っていた自分自身の本当の気持ちを呼び覚まし、マヤは決心した。
先ほどまでのおどおどとした表情は消え、凛とした表情で、告げる。
「速水さん、あたし、速水さんの口からどうしても聞きたい。」

固かった表情が緩んだのを見て、真澄は言葉を紡ぐ。淡々と。
「胃潰瘍の原因はストレスだ。それは知ってるな。」
こくん、とマヤが頷く。
「君は俺にとって仕事がストレスになると思うか?」
「思わない。だって、速水さんが今までどのくらい仕事してたか、知ってるもの。」
「そうだ。仕事は俺にとってストレスじゃない。」
やっぱり…とマヤは思う。
「じゃあ、一体何?」真澄は結婚も控え、幸せなはずだ。マヤはそう思っている。
やはりマヤは気付かない。真澄の真意に。
はっきりと言葉にしないとわからない、信じられない。
「俺は来月紫織さんとの結婚式を控えている。…紫織さんは申し分のない女性だ。上品で、美しい。気配りも行き届いている。何より、あの鷹宮財閥のお嬢さんだ。」
マヤはぎゅっとスカートを握り締める。
「だが、俺は彼女を愛してない。いや、愛せないと言うべきだろうな。」
マヤがはっと顔を上げる?何を言いたいの?まだ真澄の気持ちがよくつかめない。
「俺には他に愛している人がいる。おれは自分に嘘をついて、会社のための結婚をしようとしているんだ。」
他に愛している人?それって…?
「自分の気持ちに、一生嘘をついて生きていかないといけないこと。これが俺のストレスだ。」
マヤが「速水さん…」と言いかけたときそれを遮って、真澄がまた言葉を続ける。
「何よりも、最大のストレスは、マヤ、君に会えなかったことだ。」
え?
マヤは一瞬耳を疑う。
あたしに会えなかったこと?

真澄はぽかんとしているマヤの手をぐっと引き寄せた。
「あっ!」マヤはバランスを失い、真澄の胸の中に倒れこむ。
真澄はそのままマヤを腕の中に閉じ込める。そして呟く。
「あの満月の夜、俺は死ぬほど後悔した。どうしてあの時、君が言いたかったことに気付いてやれなかったのか。そしたら君は俺にあんなことは言わなかったかもしれないってな。」
「は、速水さん…。」マヤは真澄の激しい告白にどう返答していいかわからなくなる。
「もう会っちゃいけないと思った。俺は婚約者がいる身だ。諦めないといけないと思っていた。
でも、テレビ局で、パーティーで、いろんな場所で君を見かけるたびに、どうしようもなく君に会いたくなる。君を捕まえたくなる。君をこの手に閉じ込めたいと言う気持ちがどうしようもなく膨らんでいく…頭の中では分かっているのに、そんなことができるはずがないって。」
どくん、どくん、とマヤの胸の中で大きな音が響く。
この思いが暴走してしまいそうでマヤの中に恐怖心が生まれる。
言ってほしい。その先を。でも、聞いたら…自分でもどうなるかわからない。
「でも、もうだめだ。君の姿を見たら、これ以上自分を抑えられない。マヤ…俺は君をずっと…。」
「だめっ!」マヤが真澄の顔を見上げる。
「言わないで、言っちゃダメ。その先を言ったらもうあたし…。」
引き返せなくなる。きっと。

この部屋の前で足が動かなくなったときから、きっと予感はあった。
多分、もう自分の思いが後戻りできないところまでいってしまう予感が。
でも、いざ、その場面になると踏ん切りがつかない自分がいる。
ダメ、ダメだ。自分はこの腕を振り解いて、もう2度とこの人に会っちゃいけない。
…それでも、マヤの身体は動かない。
「速水さんなんて、大嫌い!」いつものフレーズを叫んで、出て行けばいいだけなのに。

マヤの目からがいつしか大粒の涙がいくつもいくつも流れ、頬を濡らしている。
どうしていいかわからない。
わかっているのは自分がこの人をどうしようもなく好きだと言うことだけ。
きっと、一生。

その涙を見て、真澄はマヤの中の真実を知る。
温かいものが真澄をゆっくりと満たしていく。
真澄はマヤの涙をそっと親指でゆっくりとぬぐうと、両手で頬を包む。
そして、あの、満月のときのように優しく、優しくその震える唇に自分のそれを重ねた。
大切な、大切な宝物に口付けるように。

マヤを腕の中に再び閉じ込めたまま真澄はマヤに向かって呟く。
「大切な言葉は今は言わない。でも、これだけは言わせてくれ。いつか、絶対に君を迎えに行くから。正々堂々と君をさらいに行くから。待っていてほしい。」
でも、とマヤは口を開きかける。
「心配するな。もう、自分に嘘をつきたくない。自分の心を隠し通しても結局は誰も幸せにはなれないんだ…。」
婚約解消には時間がかかるだろう。でも、どんなに時間がかかっても、胸を張ってマヤを迎えに行きたい。
「マヤ」
マヤは真澄の声にはい、と返事をする。
「待っていてくれるか?俺が迎えに行くまで。」
マヤはゆっくりと真澄を見上げると、その目をじっと見つめる。
そして、静かに、静かに真澄に向かって呟く。
「待ってます。だって、速水さんは約束を守ってくれる人だもの…。」







また、梅の季節がやってくる。
1年に一度だけ、あたしが紅天女になる季節。
そして、今日はその千秋楽。
評判は評判を呼び、紅天女は連日大歓声と共にカーテンコールを終えていた。
楽屋に戻る。
ああ、もうあと1年、阿古夜にはなれないんだな、と少し寂しく思いながら、ドアを開ける。
ドアを開けた瞬間、あたしの目に、飛び込んできたもの。
紫のバラの花束。

思わず駆け寄る。バラの花束を掴む。カードは?見当たらない。
誰が持ってきたの?いつ?
衣装のまま、楽屋を走り出る。パタパタとロビーに向かう。もう、人は誰も居ない。
はあ、はあ、と肩で息をしながらあたりを見渡す。
エントランスの外に、長身の男の人の影。
ゆっくりと、その影に近づく。
タバコの煙、少し甘いコロンの香り。
ちょっとクセのある髪。長い、きれいな睫毛。
ふと、涙腺が緩んで、そのシルエットが揺らぐ。

その人はゆっくり近づくあたしに気付いたのか、こちらに視線を向ける。
そして、にっこりと優しく微笑む。
そして、あたしをあのときみたいに腕の中に閉じ込める。
あのとき言えなかった大切な言葉を囁きながら。

「やっと、迎えに来れた。…マヤ、愛してるよ。」


今日の月は満月だ。
でも、あたしはもう「満月が嫌い」とは言わない。
だって、あたしの望みは、今日、目の前にいる人が叶えてくれたから…。




2003.08.11



<FIN>










□mikoさんより□
菌祭り「駆け込み大いにOK」を見てついつい書きかけの作品を一気に書きあげてし まいました。
最初は、真澄さん編だけだったのですが、読み返していたらあんまり寂しくなったの で、マヤちゃん編、それから 完結編と書き進めていくうちに…こんなに長くなってしまいました。
どうもハッピーエンドでないと、落ち着かない私です。
杏子さんの作品を読んで、こんな作品が書けたらいいなあ…と6月ごろから書き始め たんですが、 作品を書き出すと、勢いがつき"ぐおおおおおー!”っつと書き進めてしまうので、 「はっ!何時の間にかこんな時間!もう寝なきゃ…」よろよろ…という生活もしばし ば。
だらだらと続くお話ですが、読んでやっていただけるとありがたいです。
作品を作り出す喜びを与えてくれた杏子さんと「ESCAPE」に感謝して……。






□杏子より□
すでにこの祭に、イラストを3枚も納菌している、mikoさまから頂きました。もとは、ジカキさんだったと小鼻に挟み、”どうですか〜〜?”と朗らかに脅しましたところ、飛び込み板から鮮やかな月面宙返りで、飛び込んで頂きました。あっぱれ!!
月の満ち欠けに例えて進む、切ない恋心、狭心症でしたな。実際問題、速水さんの胃潰瘍は多いにありえます。そして、治癒方法も一つしかないと思います。水城さんの静かな活躍もよかったですね。やはり、この方なしに円満解決はありえない気が……。
mikoさん両刀ぶり、大いに発揮してくださって、ありがとうございました!







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